彼女が可愛らしい後輩だからって
ある日、会社で私がトイレから自席に戻ろうと廊下を歩いていると、目の前を別部署所属で1年目の後輩が歩いているのが見えた。
正面のドアが開いて、同期の石森が出てきた。後輩は、その開いたドアからオフィスの中に入っていった。
私もそれに続いて中に入ろうとしたところ、石森に呼び止められた。
「なに?」と言うと、彼女は「今の娘めっちゃ可愛くない? 名前なに?」と訊ねてきた。
「知らない」と答えると、彼女は「知っとけよ」と不満げに言った。
後で知ったのだが、先述の後輩は、名を小川さんという1年目の社員らしかった。
特段意識してはいなかったが、言われてみればたしかに可愛らしかった。あざとい歩き方や萌え袖――。
だが彼女の話ばかりしても仕方ない。今回の主役は、彼女ではないからだ。
藤野さんという、私とも小川さんとも異なる部署所属の2年目の女性社員がいる。
石森がある日、「藤野さんに話しかけたらいいじゃん」と私に言った。
「え?」私は妙に上ずってしまった声で言った。
彼女の発言に脈絡がまるでなかったせいだ。
「藤野さんに」
「どうして?」
「だって、可愛いじゃん」
たしかに藤野さんは可愛らしいと思う。
しかし、可愛らしさは、話しかける理由にならない。
彼女と私とでは仕事の領域が異なるから、私から彼女に話しかけることはない。そしてそれは彼女からしても同様である。
私たちは同じフロアで仕事をしている。
それ以上でもそれ以下でもない。
「藤野さんのこと嫌いなの?」
「嫌いじゃないよ」
「じゃあ話しかけられたらいいじゃん」
「いや、べつに話題もないし」
「素直になれって」
「可愛い」と「話しかける」が直結する理由になりえるのは、ロマンスとかラブのときである。
可愛いから「話しかけろ」と言った石森は、きっと藤野さんとロマンスするよう私を煽り立てていたのだ。
しかし――これを言うと、告白されてもいないのに勝手に「振る」みたいで恥ずかしいが――私にその気はまったくないのだ。
先述の通り、私は藤野さんのことが嫌いではない。
だからといって、すなわちロマンス的に「好き」というわけでもない。
感情は、そんなA or Bみたいにきっぱりしたものではなくて、もっとぼんやりとして、グラデーションがある。
私から見た彼女は、「嫌い」からは遠く離れて、しかし「ラブ」からも遠い、そんな地点にいる。
これは、そんなシンプルな話に過ぎない。
もしこの世に「嫌い」か「ラブ」かしかないのなら、世の中はもっと殺伐としているかもっと放蕩が溢れかえっているだろう。
実際の社会が、なんとか取り繕ってでも回っているのは、きっとこの世に「嫌い」と「ラブ」以外もあり、その二つが純然たる二項対立ではないからだ。
だからこの話は、決して変わり種なものではないはずだ。
私を煽り立てるのは石森だけではない。
一度、会社の飲み会でロマンスの話になったとき、その話を振った先輩社員に訊ねてみたことがある。
何故――きっと私に限らず――ロマンスにけしかけようとするのか、と。
「いやあ、面白いじゃん」
彼の回答は、なんともシンプルなものだった。
彼らが「嫌い」と「ラブ」の中間層を無いものとして扱うのは、上述の二項対立を心から信じているからではない。
彼らにとってそのほうが面白いからなのだ。
しかし、それではなんだか、言葉尻を捉えて嗤う小学生みたいだ。
「石森のこと、嫌いなの?」とくだんの先輩に訊かれた。
べつに彼女のことも「嫌い」ではないけれど、この文脈だと「嫌い」の否定はロマンスとかラブになるな――そんなことを考え、私は口ごもる。
なんとも面倒な話だ、と思った。
【今回の一曲】
Homecomings/Cakes(2019年)
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