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日向坂46の歌詞をちゃんと褒めてみよう

日向坂46は、坂道グループの一つである。

坂道グループとは、坂の名を冠する女性アイドルグループで、大人数であることと、秋元康プロデュースであることを主な特徴とする。

現在、その運営の主たる部分は秋元康の手を離れ、各マネジメント企業(乃木坂46LCC、Seed & Flower LLC)に任されているとはもっぱらの噂だが、今でも全楽曲の作詞には秋元康がクレジットされている。


私は、日向坂46のファンである。

あまり日常でこれを口にすることはないのだが、ツイッターなどでの振る舞いなどから、少なくとも「めんち」の名を使って行うインターネット上での活動において、これを否定することは困難である。

そして当然、日向坂46やそのほか坂道グループの楽曲を聴くことも多い。

しかし、その度に「なんだこの歌詞は」と思わされてきた。

楽曲として楽しむにはノイズとなるような歌詞が多いのだ。


もちろんこれには、アイドルソングであることも関係しているだろう。

こと女性アイドルは、ファンとの仮想恋愛を、稼ぐための武器としがちだ。

だから往々にして歌詞でも、女性側が過剰に「好き」を歌ったり、可愛いを売りにすることも多い。

わたしの一番、かわいいところに気付いてる
そんな君が一番すごいすごいよすごすぎる!

FRUITS ZIPPER「わたしの一番かわいいところ」

すき!すき!すき!すき!すき!すき!すき!すき!
すき!すき!すき!すき!すき!すき!
この気持ち〜! 止まりませ〜〜〜ん!!!

超ときめき♡宣伝部「すきっ」

このような歌詞が、リスナーに気恥ずかしさを覚えさせる側面はある。

しかし、秋元康の歌詞はどうにもそこに止まらないのだ。

なんというか「気持ち悪い」のである。

また今日も君を見かけたよ(Wow Wow Wow Wow)
じゃなくて僕が君を探しているのかなあ
女子高生が溢れている(Wow Wow Wow Wow)
ラッシュアワーなのにいつだって目に留まるんだ

日向坂46「アザトカワイイ」

この歌詞の「気持ち悪さ」について、語れることは多い。

例えば、ただ「見」ている「僕」の視点とか。

「女子高生」のおじさん感——同年代なら「女子」でいい——とか。

しかし、このような話はしても仕方がない。

なぜなら、もうそれは散々語られてきたことだからだ。


そこで今回は、日向坂46およびけやき坂46の歌詞で、これは良くできているというものを取り上げて、ちゃんと褒めてみようと思う。

それを通じて、どんな歌詞が「来てほしい」かという私の「お気持ち表明」になればいいと思う。

無論、私がなにかを言ったところで、なにか変わるでもないだろう。

ただそれでも、「こうなったらいいな」を考えるのは楽しい。

日向坂46にもまだその魅力があることを読者諸賢にも共有できれば、これ以上の幸いはない。


◾️けやき坂46「ひらがなで恋したい」

けやき坂46時代にリリースされたアルバム「走り出す瞬間」収録の楽曲だ。

この歌では、「ひらがな」が「単純で明快」なものの象徴として登場する。

それと対比されるのが「ふりがなをふらなきゃわかってもらえない」「絶対読めない」「難しい気持ち」だ。

その「難しい気持ち」とは、「親友の彼」への恋心だ。

主人公の気持ちは「友情を取るのか? 恋愛を取るのか?」という「二つの選択肢」を前にして「揺れている」。


この主人公は「部活」や「教室」というワードから女子生徒と想像される。

そんな生徒が「難しい」恋愛に直面し、動揺する様を「ひらがな」と「漢字」というシンプルな二項対立で表現している。

「もっと気楽にひらがなで恋したい」=「難し」くない恋愛がしたかったのに、それを許してくれない恋。

まだ《未熟》でいたかったのに、否応なく純な《こども》でなくなること。

秋元康の詞では、恋はしばしば友情を壊すかもしれないが抗いきれない気持ちとして登場するが、その真骨頂とも思える使い方だ。


この歌詞は上述の通り、二項対立がちゃんと決まっている。

そのため、この二つで揺れ動く主人公の気持ちが伝わりやすくなっている。

またこの詞の良いところは、それでも恋を取ると割り切ってしまうのではなく、ラスサビで「ひらがなで恋したい」と言い、その悩む感じを「がながなひらがながな」と表現していることだ。

これにより、主人公の「可愛さ」を強調して終わるので、恋に悩むアイドルソングとして白眉な出来になっているのではないか、と思う。

サウンドも可愛らしく、私のお気に入りの一曲だ。

(また、日向坂46の前身であるけやき坂46が、「ひらがなけやき」と呼ばれていたことともかかっており、アイドルソングとしても満点)

※MVがないためYouTubeリンクなし


◾️日向坂46「シーラカンス」

日向坂46 9thシングル「One Choice」所収の4期生曲だ。

この歌詞では、「ずいぶん前の恋する痛み」が「不意」に「動いた」男性が主人公となる。

彼は「中学生か高校生か」ぶりに恋の始まりを感じる。

そんな「ずっと忘れていた」「ずっと前に無くしたと思っていた」もの=恋する気持ちを、「ハートの底にいた」ものとして、深海魚であり「生きた化石」でもある「シーラカンス」に喩える。

つまり、言うまでもなくハートと海の底という《ジャンプ》がある。

そしてそれは、成功している。

「底」という共通のワードで結ばれるためシンプルだし、かつ「シーラカンス」は、有名でありながら日常の語彙から遠くにあり、それが間違いなく比喩であることをリスナーに分かりやすく提示できている。

また水底と「雨」が、水を通じてつながっているのも良い。

「雨」のイメージだからラスサビ衣装は青色を基調としているし、それが水を思わせるため、「シーラカンス」のイメージが無理なく想起できるからだ。

まさに歌詞とMVの合致しているクリエイティブである。

この歌の主人公は「大人への氷河時代」を超えており、また「中学生」や「高校生」だった頃を「ずいぶん前」と表現している。

きっと大学時代の大半は、恋人もできず、またそのような気持ちも起こらなかったのだろうと思う。周囲はどんどん恋人を作っていくのに。

しかし今——就活生か、年次の若い会社員だろうと想像する——彼は「生き延びていた」気持ちを思い出し「なんか嬉しい」と感じている。

つまり、「女性」を《見る》こと——その描写もあるが——よりも、内面の喜びが優先されており、それがダンスで表現されることとなる。

それが4期生という《若い》メンバーによるものであるという逆説もまた面白い。


この楽曲の歌詞で評価が分かれるのは「エモい」という言葉の扱いだ。

主人公は「ずっと忘れていた」気持ちを「こんなエモい瞬間」と表現する。

これが聴いているときに《違和感》をもたらしているように思う。


私の解釈では、これは歌い手である4期生用に《若い》言葉として割り当てられたものだろうと思っている。

だから、主人公の年齢と合致していないと思う。

もちろん、私が先述した年齢の男性も「エモい」という言葉は使用するだろうが、あくまでここでは《若い》言葉として使われている印象が勝るという意味である。

ただこれについて主人公が「中学生か高校生」のころに《自分で使っていた言葉》として当てはめられているのではないか、という解釈をツイッター上で拝見し、それは面白いと思った。

つまり歌詞の時空を、近未来に置くという解釈だ。

どちらを取るか、またこれ以外の解釈もあるだろうが、複数の解釈が生まれうる歌詞は率直に言って面白い。


◾️日向坂46「ときめき草」

日向坂46の1stシングル「キュン」収録の全体曲だ。

この楽曲では、「ときめきそう」という「〜しそう」という言葉が、「草」(そう)と掛けられている。

「ときめき草は好きになりそう」の押韻はシンプルだが、2番サビの冒頭に来るのでインパクトがある。

そしてその「ときめき草」の「花が咲いた」と述べることで、《恋心が生まれた》ことを表現している。

言うまでもなく《好きになったよ》と書くよりはおしゃれだ。

さらにこの表現はシンプルなので分かりやすい。


さらに「草」=植物の比喩から、成長の気配を感じさせる。

だから「未来に何が起きる?」と、未来を思う歌詞が違和感なく入る。

また、《芽吹く》イメージから「春」を思わせる。

まだ「恋」は《始まったばかり》であり、なにか行動を起こしたわけではない。だがその「ようやく咲きそうな恋の花をそっと守りたい」と主人公は思っている。

つまりここでは、行動は起こさないが、この「恋」と言う気持ちに《向き合う》姿勢が現れている。

これが、ぐちゅぐちゅ悩む主人公と異なるのは、これが「ようやく咲きそう」という段階であり、同時にこの気持ちを正面から受け止めようとしているからだ。


また表現を「おしゃれ」と先述したが、この楽曲はイントロからちょっとだけ力が入っている。

元々1stシングルの表題曲の候補であったこともあるだろうが、日向坂46の冠番組「日向坂で会いましょう」ではこの曲がOPテーマとして使用されているし、Aメロの部分は非常にかっこいい。

Cメロの「告白をもうしてたか?」だけ直截的すぎてダサいのが残念だ。

せっかくちょっと技巧を凝らしているのに、ここだけもうちょっとなんとかならなかったのかという印象は拭えない。


というわけで、今回は3曲を取り上げてみた。

もちろん、これ以外にも良いと思う曲はいくつかある。

「君に話しておきたいこと」は、《恋》を思わせつつも、風景描写を通じて「人生」や「愛」に着地させる様は見事だし、シンプルにメロディがいい。

「友よ 一番星だ」は、友との別れの寂寞と、それでも前に向かないといけないという人生の不条理を描いている。

「飛行機雲ができる理由」も、「君」と「僕」の恋愛詞でありながら、そこに止まらない《広がり》を感じさせる。

あと、人生について考える詞を書かせると、説教くささは出るものの、それでもなんらかの眼を見張るものがあり、さすがに「川の流れのように」を書いただけはあるなと思わされる。


もちろん、歌詞の出来のみでヒットチューンができるとは思っていない。

「キュン」や「アザトカワイイ」のようなキャッチーさが必要なのも分かる。

一方で、櫻坂46がクリエイティブで紅白に返り咲いたように、クリエイティブが無力だとも思わない。

それに、「ライブ」で「最強」を目指すなら、その歌声で届けるに足る強度を持った《歌詞》があるに越したことはないと思う。

人の声は、なんとも魅力的な楽器だから——。


私が望むのは、解釈する楽しさを残してくれる《工夫の見られる》歌詞だ。

さすがにそれぐらい期待してもバチが当たりませんよね?

まあ、日向坂46の11stシングルは、発売日が未定なわけですが……。





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