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大学生、大地に立つ 15

だめかもしれない人生

 僕は何かにつけて、物事から逃げてきました。小学生の頃は普通の子供であることから逃げ、中学生の頃は高校受験から逃げ、高校では大学受験から逃げました。楽な方へ楽な方へととにかく逃げる人生を送ってきました。それでもなんとなく上手くいってしまったため、これまで生きてこれました。今大人になって思うのは、逃げ続けたおかげで僕には積み重ねや貯金というものがなく、人間的な成長をほぼしてきていないということ。自分の中に逃げるマインドが定着しているので、大変そうなことから逃げて、楽しそうなこと、楽そうなことしかしない人間になってしまいました。まぁ人生はたのしいのですが、新しいことに挑戦しようだとか、困難に立ち向かおうだとかいう向上心がないので、やっぱり他の人より中身のない人間になっている。対して勉強もしてこなかったし、少し前の自分に言ってやれることがあるとすれば、「ちゃんとやっとけよ」でしょう。
 しかし、そもそも僕が何事からも逃げるようになったのは何故なのか。僕は今でも忘れられない嫌な思い出があります。小学校の一年生の頃でした。授業中にどうしてもトイレに行きたくなってしまいました。当時の担任には「休憩時間に行っておかなかったのが悪い」と言われて、トイレに行かせて貰えなかったのです。そして、幼い僕は漏らしてしまいました。押さなくても羞恥心はあるので、咄嗟にみんなにバレたくないと思ってハンカチを床に落としましたが、ハンカチくらいでは当然間に合うわけが無い。そしてついには隣の席の子に気付かれました。ただ、その子も僕がトイレに行かせて貰えなかったのを見ていたので、その場で先生に言うのではなく、授業が終わったあとにこっそり先生のところに行ってくれました(どうせみんなにはばれるけど、その優しさが嬉しかった)。その担任に関する嫌な思い出はもうひとつあります。僕は死ぬほど絵心がありません。7歳の幼き僕は、図工の時間に、校庭の絵を書くことになりました。下手ながら下書きをして、色を塗り始めると、先生から「空はその色じゃない」と言われ、水彩絵の具だから落ちるだろうと水道で絵を洗われました。10年以上前のことなのに、その光景をはっきりと今でも覚えています。先生が絵を持って、流しに連れて行かれ、目の前でゴシゴシと絵を洗われました。
 嫌な思い出はこれでは留まりません。中学三年のときです。僕は校内合唱コンクールのクラス合唱の伴奏者になりました。自ら志願した訳ではなく、オーディションをするからと先生から楽譜を渡されたので、仕方なく練習したら受かってしまい、嫌々という形でした。僕のクラスの合唱の下手さは、音楽ほぼ素人の僕でもわかるほど酷いものでした。それなのに担任は不必要に全体で合わせたがる。僕は弾くからには自分の満足のいくように弾きたいので、メトロノームでテンポを自分の中に叩き込みました。指揮者の子とも話をして、ドラムのフィルインのような感じで、テンポの合わせ作業をしました。しかし、どんなに僕が正しいテンポで弾いても、合唱はどんどん走って早くなっていきます。当たり前です。歌うのに一生懸命で指揮なんて見ていないんです。でも、合唱のクオリティが低いのは何故か伴奏者のせいにされる。僕のテンポは本当に完璧でした。それは自信を持って言えます。ですが、担任は僕のピアノの練習が足りないからだと言いました。すごく頑張って練習しているのに、合唱はみんなの努力なはずなのに、クラスの合唱が上手くないのを僕のせいだと責められる。一度、大きなミスをしてしまった時がありました。そしてついに、「お前は努力が足りない、練習が足りてない。」とクラス全員の前で怒鳴られました。他にやりたい人がいたのだから半端にやるなと。僕はそもそも自分から志願した訳でもないし、中途半端にやっていたわけでもありません。みんなに迷惑をかける訳にはいかないと、一生懸命でした。その時の僕は客観的に見ても頑張っていたと断言できます。それまでの僕は、自分が出来うる限りの最高の演奏をしようと思っていました。ですが、その一件があってからは、先生に怒られないような演奏を心がけました。とにかくミスをしないように、表現度外視で弾きました。本当に楽しくなかった。そして結果的に、合唱コンクール当日に持病の腸閉塞を起こしてしまい、激痛と共に演奏を迎えました。まともに演奏できるわけはなく、途中で大きなミスをしてしまい、演奏を止めてしまいました。それでも何とか持ち直しましたが、最悪でした。
 そんな経験をして、僕は頑張るだけ無駄なのだと考えるようになりました。僕の成績は県内のトップ校に行けるくらいはあったのですが、高校に行ってから頑張るのが嫌だったので、県内中堅の私立高校を単願で受験しました。みんなが高校受験で悩んだり努力したりしているなか、僕は遊んでいました。
 人のせいにする訳では無いですが、僕は大事な時期に環境に恵まれていなかったように思います。小学校に上がったばかりで自分のことを否定されるような経験をしてトラウマになり、中学三年でも自分を否定される。特に中学の3年間は思春期で、ただでさえ自分の存在意義について悩んでいたのに、自分のアイデンティティと頑張りを否定されることの精神的ショックというのはかなり大きかったです。
 頑張らなくても良いんだよと言ってくれる人がいたらどんなに楽でしょう。自分の楽なように、楽しいように生きていれば良いんだよと言ってくれるならどれほど良いでしょうか。

ハマった

 トッケビにハマりました。韓国のドラマって尺が長くてシナリオも詰まっているので、見ていて満足感がありますよね。日本のものと比べて多少設定が突飛なものが多い印象がありますが、その突飛さに惹き付けられます。まだ半分も行ってないのですが、一気見できてしまう面白さです。

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