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大学生、大地に立つ 12

2周年。何度もしたい大切な人の話。

 皆様お久しぶりです。前回投稿から約2ヶ月空いてしまいましたが、その間にお陰様でnote2周年を迎えることができました。フォローしてくださっている皆様には感謝しかございません。僕のくだらない人生に少しでも華を持たせてやりたいと思い、精神どん底だった時に始めた活動を2年も続けることになるとは、当時の自分は想像していませんでした。
 何度も話してきた、大切な人の死。自分の中で芽生えた人助けをしてみたいという思いは、着実に形になってきています。自分が大学を卒業しどんな職に就くかは想像のつかないことではありますが、何らかの形で人助けに関わって行ければ良いなと思っております。そして、拙文で知識も浅いながら趣味が講じたサッカー解説も引き続き書いて行こうと思っております。ワールドカップが開幕したら、積極的に他には無い切り口の解説記事など書いていこうと思っておりますので、お待ち頂けると幸いでございます。そして、今後の計画として、プロ野球の記事なんかも書いていこうかと思っております。サッカー解説のように幅広く書くのではなく、阪神タイガースにスポットを置いた記事を投稿していこうと思いますので、そちらの方も期待していただければ良いかと。note3年目も駆け抜けていきますので、応援、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。

嫌いな癖が進化した

 僕はことある事に他人の人となりを考察してしまう癖があります。そんな癖が昔から大嫌いなのですが、治るはずもなく、「この人の性格はこんなだろうなぁ」とか考えてしまいます。それが最近どんどん進化しているという、もはや手に負えないところに足を踏み入れそうになってしまっているわけです。
 僕は飲食でバイトを始めて、そのお店が閉店し、また別の飲食店でバイトを始めました。フロアで仕事をしていると、色々なお客様の対応をしたり、テーブルの片付け、フロアの備品管理や補充をするわけです。テーブルの片付けをしていると、それはまぁ十人十色の特徴があるんです。
 例えば、使った食器や箸などをまとめてテーブルの端に置いてある人や、ゴミがテーブル中に散乱している人など、本当に様々です。僕は何せ器が小さい人間ですので、散らかっているテーブルを見ると少しイラッとしてしまいます。片付けるのは大変だし、手や制服が汚れたりするので、散らかっているテーブルはあまり好きではありません。
 お客様対応をしていても、大変なことは沢山あります。物腰柔らかで丁寧なお客様がいれば、些細なことでもお怒りになるお客様もいます。どんなお客様に対しても悪態を付かず、丁寧に笑顔で対応しなければいけません。少なくとも、いくらお客さんの反応が乱雑だったとしても、こちらのミスですので、全面的に店側が悪いです。ただ、もう少し丁寧にお話してくれても良いのにな、と思ってしまいます。
 先日なんかは、某寿司チェーン店の名前を引き合いに出されて、商売の質が低いと怒鳴られたことがありました。さらに、厨房から言われた対応に関して、僕側にはなんの落ち度もありませんでしたが、対応が気に食わなかったので本社に電話して報告するとまで言われてしまいました。自分は悪くないと思いながらも必死に頭を下げ、店長がエリアマネージャーに出来事の詳細を話してくれて僕の立場は保たれました。
 食後のテーブルを整頓しておいてくれるお客様は、普段の生活でも整理整頓ができたり、他人に感謝ができる人なのだろうなと思います。逆に、テーブルが乱雑な人は、私生活でも片付けをしなかったり、色々な面で雑さがあったりするのかもしれません。些細なことでもお怒りになって店員に対して露骨な悪態をつくお客様であれば、もしかしたら普段からそういう態度を取って、誰かを傷つけてしまっているかもしれません。
 何が言いたいかと言いますと、食事の際に出る些細な癖や、他人に対する態度によってその人の性格や普段の行動パターンって、割と読めてしまうんですよ。僕みたいな人間観察が癖の人間もいますので、いくら普段整理整頓ができたり、些細なことにも感謝を示せる人でも、食後のテーブルが汚かったら、店員からは悪いイメージを持たれてしまいます。人間関係で重要な意味を成してくるのは第一印象です。恐ろしいもので、一度その印象を持たれてしまうと、それを払拭するにはかなりの時間と労力が必要になってきます。僕は何度も第一印象で損をして、それで悲しい思いをしたり辛かったことがあるので、皆さんには同じ経験をして欲しくありません。まぁ、ここで19の僕が書いたところで手遅れだという話もあるでしょうが。兎にも角にも、どんな些細なことでも気を付けて日常の生活を送っていきたいものですね。

趣味は?という質問が苦手

 僕は昔から「趣味は?」という質問が苦手です。小さい時ははっきり趣味と呼べるような趣味はありませんでした。例えば僕はポケモンが好きなのですが、小さい頃なんて周りの人間ポケモンのゲームなんてみんなやっています。それならゲームはどうかと思うと、ゲームも人並みにしかやりません。読書も好きですが、本当に趣味として読書をしている人とは比べ物になりません。そういうわけで、僕はこの質問が大嫌いでした。しかし最近、やっと自分の趣味と言えるものを見つけて、質問に答えられるようになってきました。今じゃあ、アイドルの追っかけをすることが趣味だし、サッカー観戦も趣味と呼べるくらいにはかなり見ています。今まではなにか趣味を見つけなければと必死になっている自分がいました。ですが最近気づいたんです。趣味って、みつけようと思って見つけるものではないのだなと。気づけばサッカー観戦が好きになっていたし、意識せずともアイドルを好きになっていて、ライブにも行っていました。多分自分が無意識のうちに好きでやってしまうことが趣味なんだと思います。
 例えば、ゴルフを始めてみたら打ちっぱなしに行かないと気がすまなくなったとか、お菓子作りをやってみたら思いのほか楽しくて別になにか理由がなくてもお菓子を作ってしまうとか、そんな感じで、趣味って無意識のうちにできているものだと思うんです。
 僕は別に、意識してサッカーを見ようと思ったわけではありません。日本人が所属している欧州のクラブはどんなところなんだろうという好奇心がきっかけで、気付いたら好きになっていました。その時は長友所属のインテルのことをしらべていましたが、今ではインテルよりもミランが好きですし(同じ街のライバルチーム)、僕が調べ始めた時には日本人が所属していなかったアーセナルが心のクラブになっています。別にアーセナルを好きになりたくて好きになったとか、ミランを好きになりたくて好きになったとかではなく、単純にアーセナルやミランのサッカーが好きだったので、気づけばその2クラブの試合ばかり見ていたというだけです。
 今趣味がないみなさんも、周りの人に趣味があって自分には無いと思うと焦るかもしれませんが、気にすることはありません。いつか自然に好きなことが見つかって、それが趣味になることがあるかもしれませんから。

スポーツの素晴らしいところ

 いよいよサッカーW杯カタール大会が開幕しました。多くの試合を見ようとするとさすがに体を壊すので、注目試合をピックアップしながら程々に見ております。イングランドは圧巻のスタートを切りました。中でもボランチの一角にスタメン出場したベリンガム選手は、自分と歳が同じなのでなにか熱いものを感じました。19歳で世界の舞台であれほどの活躍ができるのは本当に素晴らしいことだと思います。日本代表にも当てはまりますが、代表メンバーはほとんどが20代半ばから30代の選手で構成されます。その中で10代でありながらあれほど躍動するというのはなかなかできることではありません。それに、ベリンガム選手は代表唯一の国外クラブからの招集ということもあり、そういったところもだいぶ肩身が狭いと思います。他の選手はクラブは違えど普段から共にプレーしているライバル同士で、特徴も知り尽くしているわけで、その中に19歳の選手が1人チームに入るというのは、それはもう計り知れない難しさがあるのだと思います。
 他の選手からすれば、自分と一回り程歳の違う若者にポジションを奪われるわけですから、内心気が気でないはずです。それでも、仲間として受け入れ、最大限のバックアップをする。当たり前だと思われるかもしれませんが、人間にはプライドというものがあるのでなかなか難しいことです。
 こうして色々な背景を考えていると、フットボールはやはり素晴らしいなと思うのです。歳の差やプライドなど関係なく、仲間として同じ方向を向いて努力することができる。これは本当になかなかできないことだと思うのです。僕が数年前に教わっていた英語の教師は、自分の英語が絶対という人でした。文脈的にも文法的にも間違っている答えでも、先生の解釈が正解なんだと言うような人でした。生徒から指摘されても高圧的な態度で受け合わない。プライドが邪魔をして、生徒からの指摘を受け取らない。そんな先生でした。教育の現場で一番あってはならないことの一つとして、「間違ったことを学ぶ」ことがあります。はっきりとした間違いなのだから、プライドを捨ててお互い高め合えれば良いと僕は思うのです。逆にこちらの指摘が本当に間違っているのなら、どうに間違っているのかを指摘し、理解させる。どんなことがあるにせよ、教師というのはいつでも生徒に正しい学びを提供すべきだと思うし、それをプライドが邪魔してしまうのなら、そんなプライドは捨ててしまった方が良い。プロのフットボールの世界はそんなくだらないプライドの押し付け合いは存在しません。若手は純粋にベテランから学ぼうとし、ベテランも良い若手から色々なものを吸収しようとする。日本代表の長友選手も、プライドを主張せずにプレーできる素晴らしい選手のひとりです。FC東京では、長年プレーしてきた左サイドではなく、右サイドでのプレーを監督から要請されました。それでも長友選手は監督に反旗を翻すのではなく、なにか学べることがあるのだと快く受け入れました。
 そのプライドの柔軟性こそが、人を成長させる所以であり、フットボールの素晴らしいところ、ひいては人間として生きるうえでの重要な要素だと思うのです。こんなことを書いていながら、僕にはプライドの柔軟性はあまりありません。プライドに柔軟性を持たせるのはとても難しいことだと思います。なかなかできません。ですが、少しでも成長できるよう、素晴らしいフットボール選手を見習っていこうと思うのです。






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