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【ARIA The BENEDIZIONE】私達は想いを継承する生き物

・劇場版ARIAシリーズ『蒼のカーテンコール』の最終章『ARIA The BENEDIZIONE』を鑑賞して参りました。今作は藍華ちゃんと晃さんを主体とした物語。


・正直に言うと泣いた。号泣では無いが泣いてしまった。藍華ちゃんと晃さんの過去の話と現在を織り交ぜながら、いつものARIA作品らしい優しさと気持ちがこもった内容には涙腺がやはり保たなかった。

・ARIAという作品は常に継承を描いてきた様に思う。流れる時の中で育む感情の揺れ動きを繊細にハートフルに描いてきたのがこのシリーズであり、それは原作もアニメシリーズも同じだ。

・受け継ぐという行為は単に形式的な物を指すのではなく、もっと自然で当たり前の様に存在する物を指すのだと本作を見て改めて感じた。作中で「街にはかつてそこで暮らした住人達が居たけど、その人達はもう死んでしまった。けど街や文化は今も存在する。これは自分達が去った後も誰かが誰かに脈々と受け継ぐ生命のバトンである。」という内容が示唆されるのだが、此処にはARIAというシリーズが持つ精神性が大きく表されていると思う。何故なら人類は想いを紡ぎ継承する事で存続して来たのだから…。

・そしてこの後のエンディングで昔のTVアニメ版の選り抜きカットがエンドロールで流れる。これは本当に完璧な構成と言って差し支えないでしょう。かつて生み出された物が今も形を変えて受け継がれている、その事に対するちょっとしたメタファーになっているのだ。泣ける粋な演出ですよ、本当。

・本編での内容に触れると、大前提として藍華ちゃんと晃さんのやり取りが滅茶苦茶良い。作画も顔が良すぎてビビる。特に晃さん、マジで騎士。お互いが努力の人間であり、似た物同士であるからこその分かり合いと分かり合えるからこその絶妙な距離感…堪らないね…。

・テセウスの船という哲学的な問答。修理されまくった船は果たし元の船と同じだと言えるのだろうか?というお話。それを引き合いに出して、形に囚われない本質。生命サイクルの摂理に当て嵌める事で、重要なのは物質的に受け継がれる物では無く、その精神性を後世に受け継ぐ事こそにある、というのが本作で謳われる最も尊い点だ。

・ひとまずは本作にて終了となってしまった劇場版ARIAシリーズ。再び、ネオ・ヴェネツィアに帰る機会を与えてくれた製作陣には感謝の言葉しかありません。

(入場特典の灯里ちゃんとアリア社長、かわいいがすぎる)

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