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【最後の決闘裁判】それは堅牢な虚栄心

・リドリー・スコット監督の最新作『最後の決闘裁判』を鑑賞して参りました。

・本作はリドリーが黒澤明の『羅生門』に強く影響を受けた作品になっているとの事で、そちらの方をしっかりと履修してから挑む運びとなりました。

・いやー羅生門もね…語れる事が多すぎる素晴らしい映画でしたね。人間という生物の虚栄心に包まれた悩ましき生き方をこうも上手く物語の構成として面白く落とし込めるのかと驚きの連続でね…。1950年でこの様な芯を食った内容の映画を完成させるとは流石"世界の黒澤"と言われるだけある巨匠だなぁと…恥ずかしながら今まで『七人の侍』しか抑えていなかった自分を悔いるばかり。

・それはさておき、『最後の決闘裁判』についての感想を寄稿させて貰おうではありませんか。ネタバレ全開で書きますので、知りたくない人は見ないでね。

・結論、個人的にリドリー・スコットの最高傑作なのではないかと思うほど心を惹かれる作品でありました。『羅生門』にて扱われていた人間の虚栄心というテーマを1300年代後半のチェーンメイル犇く騎士物語の世界へと巧みに移し替えた本作。その上、女が男の所有物や家畜の様に扱われていた悲劇的な前時代性を大きく膨らまして描いているのがお見事。

・ストーリーも『羅生門』とほぼ同様に男・男・女の3人がそれぞれ自身の視点による真実として語る構成になっている。まあ前述の作品の方では、目撃者という当事者以外の真実の視点が最後に明かされる事により本質が露わになるという作りになってるのだが本作はそうでは無い。

・14世紀末のフランスで法的に認められた最後の決闘裁判、それは一つのレイプ事件を巡る物語。しかし、それを取り巻くのは虚栄に塗れた人間社会の醜さであった。

・チャプター1では夫ジャン・ド・カルージュの視点で、彼の王への忠誠心の高さと勤勉な正義心が描かれる。そして彼は妻を愛す良き夫であり妻をレイプした親友ル・グリへの怒りに満ちていると紹介される。

・チャプター2 ではレイプ犯ジャック・ル・グリの視点で、彼が権力者に擦り寄るのが巧みな頭の切れる知略家として描かれる。そして一目惚れしたジャンの妻であるマルグリットに対する不貞は合意であり、レイプでは無いと断言して紹介される。

・チャプター3では妻マルグリット・ド・カルージュ視点で、1と2で捻じ曲げられていた男達の本性が明かされる。ジャンは厳格な品位や体裁を気にする男であり、マルグリットの事を跡継ぎを孕ます所有物として捉えている側面がある。ル・グリは嫌がるマルグリットを無理やり犯す自惚れた1匹の獣だともしっかりと描かれる。そこから最後までは彼女の視点により、決闘裁判の行く末が見届けられる事になるのだ。

・それぞれのチャプターの大筋は一緒なのだが、チャプター3で男達の行動が証言とかなり違うと比べられるのが面白い。ここに来て権威主義の時代が象徴する暴利と理不尽な力による縛りがカタルシスとして爆発するのがこの作品の強みの一つだ。

・個人的にはチャプター3の全ても真実かどうかは分からないと考える。いや、そもそもそれが嘘か実かなのか大事では無いのだ。実話を元にしてもこれはあくまでも映画な訳で、この作品が一身に訴えかけているのはそこでは無いのだ。謙虚なフリをして他者を陥れる人間達のそんな人生に意味はあるのか?と、空虚で何もない操り人形の様な暮らしを強いられている人々は果たして生きていると言えるのか?と、その全てを懐疑する事こそがこの作品の命題ではないだろうか。虚栄という行為そのものの是非を問うのでは無く、そもそも何故人間社会は虚栄という鎧に身を宿すのかという根本的な部分について考えるのが大事なのだ。

・こういう人間模様だけではなく当時の社会性による根拠で裁判が執り行われる部分もこの作品は面白い。科学も発展していない神が絶対の時代ですから「夫婦の営みが確かな絶頂である時のみ神が子供を懐妊させる」などという論調が登場する。つまり愛がないレイプでは子供は妊娠しないという訳だ。これを裁判で真面目に討論しているのだから興味深い。勿論、裁判の延長線にて行われる決闘の考えも面白い。勝った方が神に認められているから真実だと、宗教的な時代の合理がなるほどと見て取れる。  

・風刺のエッセンスが激烈に効いている部分も魅力的だ。ジャン家で飼育されている血統書の肌馬が飼育小屋から飛び出した雄馬に襲われるシーンがある。そこでジャンは「お前じゃない!」と激昂して種馬足り得ないそいつを妻の目の前でぶん殴るのだが、ここが素晴らしい。入れ子構造的な比喩演出により、当時の女性達がいかに家畜的な扱いを受けていたのかが残酷にも主張されている。当時、と言いますが今現在でも国よればこの様な風習がある所もありましょう。それを文化と呼ぶか因習と呼ぶか、というのも未だに続く難題です。


・この映画の終わり方はあまりに悲劇的だ。ジャンが勝ちマルグリットは死なず、一見してみればレイプ野郎のル・グリが死んでハッピーエンドを迎えたように見える。だが最後のショットを見れば、彼女が自分の人生とは何なのかと?生きている意味とは?と問うているでは無いか。それは神に対してか、冷酷な顔をして笑い続ける権威に対してか、それとも自分の人生を諦観して受け入れてしまった者達に対してか。最後までこの作品には権威主義に翻弄された人々の生き方がありありと焼き付けられているのだ。

・そして時は巡り今現在、我々が生きるこの世界が地続きに存在する。そして誰もが口を揃えて多様性という尊厳を求めつつあるこの現代社会は、これからも多くの弊害や困難に満ちた苦悩に衝突するだろう。その上この問題は人間が人間である限りは答えのつかない問答かもしれない。しかし過去を振り返りよく見れば、小さな火種は確かに燻り続けている。それが何百年、何千年、掛かろうとしても、良き時代の為の礎が今なお、終わりなきドミノの様に並び続けているのだ。

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