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今日は卒業式なのでバイトに行きます

きっともう顔を合わせることのない人たちは今頃式に参加するために慌ただしく準備しているのかもしれない、と思いながら信号ですれ違う既に準備を終えたであろう袴姿の人を横目に私は今日もバイトへ向かう。

マンションを出てすぐの信号はちょっと走らないとすぐに赤に変わってしまう、信号間の距離と点灯時間が絶妙にアンバラスな歩道橋。そんな歩道橋でなるべく止まらないために、今のバイトを始めてから何度もしてきたミニマラソン大会。あと15秒長く青であってくればいいのにと思いながら、毎朝慌ただしく走ってきた。

今までも走っている姿を人に見られることはあった。だけど、袴姿の人に見られるというのはなんとも変な感じがして、こちらも袴姿の人を軽く見ているのだけれど、なんというかとても悲しい。朝から走っている自分が馬鹿みたいな感じがして、ああなぜあなた方は朝早くからバチバチに仕上げているんだと物憂う。

まさか同じ年に卒業する人がバイトに遅れないように走っているとは思うまい。私だって、この時間ならさすがに卒業生とすれ違うことは無いだろうと思っていた。甘い見積もりに驚かされる。

卒業式に行かないのがかっこいい、と思っている訳では無い。ただ、行ってもすることが無いだけなのだ。適当に話を聞いて、学位記を受け取って帰るためだけに参加するほど惹き付けられるものがない。

というのは表向きの理由で、実際は友達がいないから行かないのである。

学位記の受け取りは学科ごとに各教室に集まって行われるらしい。しかし、学科内に友達と呼べるほど親しい人はおらず、顔見知りなら多数いるのだけれど、そんな空間でどのような顔をして過ごせばいいのか全く分からない。

それに加えて、きっと学位記の受け取りが終わったら皆それぞれ写真を撮るはずである。こちらから写真を撮ろうと声をかける人はなく、きっと写真を撮ろうと声をかけてくる人もない。周りが写真を撮り合うなか、1人群衆をかき分けて帰るのはあまり楽しくない。

同じゼミ内に友達はいないし、サークルの人にはなるだけ会いたくないし、卒業式の日に周りが写真を撮る中1人で帰るのも高校時代に体験してるからお腹いっぱいだし、そう考えるとわざわざ卒業式に行く必要がない。

そんなこんなで、代わりと言ってはなんだが、バイトへ行った。

同じゼミの人や学科の人、サークルの人たちがこれからどんな道に進むのかこれっぽっちも知らない。彼らもきっと私がどうするのか知ることも無いだろう。

だからといって最後に顔を見ておきたいという気持ちはなく、むしろ顔を合わせずに最後を迎えられるのだから、1つの終わりの形として満足している。

バイト終わりに袴やスーツを着ている人達が複数人で街中を歩いているのを見かけて、やはり気が滅入った。少しだけ羨ましくて、堂々と歩いているのはどこかカッコよくて。

そんな気持ちを抱えながら、バイト終わりに学位記を取りに行った。学部を伝えて学生証を渡してしばらく待っていると、学位記が渡される。なんと気楽なことだろう。周りに卒業生がいる中で受け取るのとは全然違う。スっと行って、スっと帰れる。こういうのでいいのよ、こういうので。

やっぱり、卒業式に行かなくて正解だったなと思う。誰がどんな風貌なのかとか、どんな道に進むのかとか、そういう考えたくないことを考えずに済んだから。

こんな人間もいるんだよ、と見知らぬ誰かに伝えても、笑われないってのはいいもんで、些細なことではあるけれど、生きるに足るくらいの満足感は得られたり。

こういう、現実で話したら哀れみの表情を向けられそうな話は、これからもnoteに記していこう。

これが僕の在り方だから。

読んでくれてありがとうございます。