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「お父ちゃん」④

そんな父の葬儀、それはそれは派手だった。葬儀屋の部長だかオーナーだか分からないけれど、偉い人が葬儀を終えて母にこう言っていたらしい。

「私はチャンスを頂くことができました。私がやりたかったことでした。」

と。

 今では、葬儀屋さんがあちこちにあって、お通夜も葬儀も自宅で行うのではなく斎場で行う家庭が増えている。田舎であればあるほど、風習や“しきたり”なんかがあって、斎場を使うことに抵抗を示す傾向にある印象がある。当時は、もちろんお坊さんを呼んで、自宅で父を送り出した。

んが、自宅は自宅でも、大きい方の宴会場を使った。家に届く花の数、花輪の数がそれはそれは多く、宴会場の中、駐車場にも収まり切らず道路も一部借りていた。そして、宴会場の中はとても綺麗いな水色の布で覆われていて、花も菊ではなく可愛らしい花々たちが添えられていた。見たことも感じたこともない、故人を優しく穏やかに送り出すそんなイメージだった。そして、父の好きだったトムクルーズ主演の映画[トップガン]をバックミュージック調に流して…。

これをキッカケに、斎場を使って家ではできない送り方を選択する家庭が増えたらしかった。

 父が他界し、憔悴しきり痩せこけていた母。気力だけで立っているのは分かっていた。そんな中、葬儀の詳細な打ち合わせなどできなかったと思う。店のパートさんも、悲しみを堪えて、忘れるかのように葬儀に出す食事や手を合わせに来てくれた方へ出すお茶の準備や対応で忙しそうだった。父の兄弟も遠方から集まった、近くにいた叔母も集まった。大人たちはバタバタと動いていた。そう、本当に悲しむ暇なんてないくらい。

その時の私は、小学時代/中学時代の先生やら姉の部活の顧問の先生、私の同級生から姉の同級生、それはそれは懐かしい顔ぶれが見れて正直、楽しかった。余命を知らされてから、よくわからないまま重い日々を過ごしていた私にとって、懐かしい人に会えるのは嬉しかった。泣いている人もいたけれど、見たこともない花輪や花飾り、優しい雰囲気の宴会場の飾りの中、私は、

「死んで、初めてどんな人だったのかわかるのかもな〜。お父ちゃんは、全裸でふざけたり好き勝手してたけど、すごい人だったんだ。こんな風に皆んなに見送られるなら、死ぬのはやっぱり怖くないんだな〜。」

なんて思っていた。[お通夜/葬儀]という重く怖いイメージを変えてくれた葬儀屋さんのおかげもあって、私は注意されるほど笑顔だった。


好きなように生きるって、時に勇気がいる。お金だってかかる時もある。人に迷惑をかける時もあるかもしれない。けれど、父は、とても大切なことをし続けていたんだと思う。


自分の気持ちを大切すること。
自分の気持ちに正直であること。
人を思いやること。
人生にユーモアというスパイスを加えること。


私はまもなく42歳になる。父が他界したのは43歳。もうすぐ父の歳になる。今の私には、父のすごさ、カッコよさが分かる。

小さくなんてまとまらない。
自分を信じる強さ。
いざと言う時の強さ。
人を守る強さ。
自分の夢へ進む強さ。
少年のような笑顔といたずら心。

豊かな心。
豊かな人生。

こんなにこんなに大切なことを教えてもらっていた。


私と姉は、父を「お父ちゃん」と呼ぶ。「お父さん」でも「パパ」でもなく。

そう、これがしっくりくる。
心が温かく、心が笑顔になるから。


ありがとう「お父ちゃん」


そうだ、

「長生きすっつぉー!」とニンニクの丸揚げを食べていた父。そんな健康法を試みていたけれど早死にだったね♪

そんなお茶目なところも「大好きだ♡」