視線・身体・無限の生

 最近の推しって言葉、かなり嫌い。狭い界隈で使われてた言葉が突然商業主義に奪われて広められて。仲間内でぼくが言った言葉を、お調子者のあの子が使って教室中にウケたみたいな、そういう気持ち悪さ。everywhereじゃない繋がり。トークイベント。
 交わらない視線が良い。一方的に脳を犯されてたい。その欲望に気付いたのはチェキ1枚1000円のアイドルを推すのをやめた時。お姉さんが多い現場で制服は目立っていて。アイドルにもファンにも妹のように扱われた快感からも制服に固執してるのかなー、なんて。「今日も来てくれたんだ〜」「お兄さんがんばるね!」長女のあたしにはそこが居場所のように感じた。大きい瞳が生のあたしを捉えていて。アイドル。電車に乗って帰ったらすぐ忘れる熱。結果的にあたしの高校卒業と共にアイドルグループも解散して、元々俳優だったその人は俳優業に専念という形になった。なくても生きていけた。ちょっと解散してホッとした。いつまで付き合えもしないアイドルに金を落としてるんだろう。ァ、所詮、身体性かよ。目の前にいる時間しか、好きじゃないんだったら脳を犯されていない人に人生を預けたくない。惰性で推してたジャニーズも、その個性がゆっくり消えてく様を見て全てがどうでもよくなった。アイドルってもっと幻想だと思った。概念かと思ったら人間だったから冷めちゃった。
 ずっと、憧れと情欲を混同して気が狂い続けています。あたらしい世界を開いてくれた人を、小鳥が初めて認識したのを親鳥だと思うように、推したり付き合ったりして、花畑じゃないのに、頭。現実認識能力がしっかりと備わっているのに、視線を交えるのを望んでしまう。圧倒的なパワーで言葉の力で脳を犯してくれ。貴方の言葉ですべての世界を体験できちゃうみたいなそんな詩。有限の身体で無限の生を体験できるのが言葉を用いる人間じゃないか!?
 あなたの詩とあたしの感受性で無限の生を生きてくれ。有限の身体はちょっと後ろに置いといて。恋は身体性と絡みつく感情だから、憧れを橋にして切り捨てて、あなたと夢限に生きる。だから、恋を想起してしまうから、あたしと、視線を交えないでくれ。

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