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名前を覚えて呼ぶこと

廣津留すみれ氏の世界の常識本をめくっていたら、社交においては人の名前を呼ぶのが大切、とあった。
デール・カーネギーも強調した人間関係を築くための原則であり、確かにアメリカにいると「挨拶よりも名前」だったりもする。(朝、たとえHiを省略してもJohn, Maryと言って目線を送るのは欠かさない、とか)
面と向き合っていると思しきラジオのインタビュー番組でも、折々にゲストがホストの名前を挟んでいる。

ただ、日本にいるときは、名前を連呼されて、親しみを感じるどころかうっとうしかったことばかり記憶に残っている。
某大会の広報室にいた記者も、営業電話をしてきたセールスパーソンも。
「この人、啓発本の読みすぎでは...」と思ってしまい、鼻についた。
それだけ不自然だったということだろう。

そもそも主語を省ける言語だというのと、OSが聖書の社会(例:米国)と比べて「名前」に重きをおかないことがその不自然さの理由ではと考えている。


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