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出会いも別れも生きるも死ぬも全部怖いなんて、面倒臭い。


この1ヶ月、時間の経つせわしなさにも時間の経つゆるやかさにも気づく暇すらなかった。ちょうど1ヶ月前に読んだ寺山修司ももう遠い過去の記憶のように思われて、記憶の中で幼い私が愛について必死に考えているように映る。今読んでいる最果タヒの言葉が鋭い痛みを私に与え、その痛みに心地よささえ感じ、思いがけず私の口角は上がってしまう。


「さよならだけが 人生ならば 人生なんか いりません」


「細い首に糸をかけて、誰でもひけるように路上に垂れても、あるひとは赤い糸だという、そしてひろいあげ、この先に、わたしを愛してくれる人がいるはずだと、嬉々として走ってくるのだ。 しにたい。 そいつがドアをノックするまでに。せめて他殺で。惨殺で。」


寺山修司は別れを拒み、最果タヒは出会いを拒む。
なぜかこのふたつの言葉たちが私から離れない。


別れるくらいならば、出会ってしまうくらいならば、死んでしまいたい。みんな死んでしまいたい。でもきっと私たちは死なない。
きっと運命を思わせる人に出会ってしまったら私たちは生きようとするし、運命だと思っていた人とさよならすることになっても、私たちはなんとなく時間をすりつぶしながら生きていく。そして夕暮れどきの涼しさを帯びた風が鼻先を撫でるとき、あぁ、また出会いとさよならのあわいを生きたままやり過ごしてしまった、と感傷的な気分になり、また出会いとさよならを恐れるようになる。
私たちの人生はきっとこの繰り返し。何度でも感情を動かして、傷つけて、壊して、癒して。
生きていくのなら、生きていかなくてはならないのなら、ありとあらゆるものに怖がりながら、でも引き受けながら、聞こえてきた音楽にただ体を揺らす。


今の私は出会いも別れもどちらも猛烈に怖い。
はじめましてもさよならも、もうしたくない。
でもまだ知らないあなたのこと知りたいし、愛したいし、見つめたいし、傷つけたい。
まだ知らないあなたに私のこと知ってほしいし、愛してほしいし、見つめてほしいし、傷つけてほしい。
自分の世界に新しいキャラが入ってくるのも、ずっといたレギュラーキャラが出ていってしまうのも、どうしようもなく私の心を乱す。幸せに泣いているのか、淋しさに泣いているのかすら判別できないほど、すべてのものが入り混じって溶け合う。生きる喜びにもなるのに死にたくなる原因にもなる。

面倒臭い。


かりそめの世界。そうここは単なるかりそめの世界。かりそめという言葉すら伝わらない、そんな概念すら持っていない友人に囲まれながら、私はただひとり私のかりそめの世界にただぶら下がる。いつその糸を切られても私は甘んじて受け入れる。やっとこの時がきたと。心の底で蠢いていた死への渇望。ただそれよりも奥底で鎮座する生への本能的な渇望。すべてのものにただ恐れている。出会いも別れも怖いうえに、死ぬのも生きるのも怖い私たち。

面倒臭い。


愛と死生は同じ線の上に存在する点に過ぎない。でも湿ったキャンバスの上によく水分を含んだ絵の具でなんて描くから。だからこんな大惨事になっている。でもそれが美しいとわかるのはやっぱりその絵が完成してからで。思い出になってからで。人間の認識と記憶の残酷で面倒臭いシステム。それでも愛おしいのは私が美しい想い出を回想できるようになったからで。





寺山修司著『にほんの詩集 寺山修司詩集』角川春樹事務所、2022年
最果タヒ著『死んでしまう系のぼくらに』リトルモア、2014年


2024/07/20

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