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バスタブの底の詩

バスタブの底。

そこは暗いのに水面を見上げると照明の淡い光がゆらりと、たまに強い光がきらりと目に飛び込んでくる。熱いお湯が目にひどく痛い。
それでも必死に目を開けて見えていた私の口から溢れて水面に向かって浮遊していく息の泡が、このバスタブの中で一番強い輪郭を持っているもののような気がした。私には私のこの体が輪郭を失ってしまって、今にもこの暑さの中に溶けてしまってバスタブの底に沈んでいけるのではないかと夢想した。
静寂なのになんとなくうるさい、どこそこで音がぶつかって響くこのバスタブの中。
私もあなたたちみたいになりたい。ただ周りからの伝染で熱されたり冷まされたり、何かの衝撃でうごめいたり、必要とされなくなったら排水溝に向かって流れて行っていなくなってしまいたい。
そしてあなたたちはひたすらに美しく危険な魅力を持つ。あなたに生かされあなたに殺されることだってある。私も誰かが鼓動を動かすための手段になって誰かを生かしていたいと思うし、誰かを殺してしまいたいとも思う。
形ないもの。存在はあんなに大きいのに決して形を持たないあなた、美学すぎて憎らしい。あなたは私になりたいとは思わないのだろうか。もし水が私になりたいと思っているのなら、私はもう少し自分のこの輪郭のまま生きていけるかもしれない。

一通り会話したあと、私はバスタブを出て栓を抜いた。自分の体の重さだけがバスタブの底に横たわり、その重さに押しつぶされる。さようなら。もう会えないね。

次生まれてくるときはきっと美しい草原の朝露になろう。


2024/08/14

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