自分への期待値が高いことと、謙虚であること

この人の考え方、すてきだな。自分もそうなりたいな。
この人の振る舞い方、憧れるな。自分もそうなりたいな。

こんな感じでこれまでよりよい生き方を模索してきていて、そうやって自分を変えたり成長するのを楽しんできた。

自分なら努力次第で理想に近づける、なんて思って
私は誰よりも自分が自分に期待してきたのかもしれない、と今日思ったりした。

一方で、私は謙虚な人に憧れて、謙虚でいたいと思っていたりする。

最初はなりたい姿に程遠くても、真似し続けたり努力し続けたら近づけるんじゃないか、変われるんじゃないか、とも思う。

礼儀作法だって、最初はできていなくても、真似し続けることで自然とできるようになるし、品がうまれるようになるのではないだろうか。

けれど、自分への期待値が高くて、「こうありたい」「こう見られたい」という気持ちが強くなるほど、私は謙虚ではなくなってしまう。

自分への期待値が高いばかりでは、自分の至らないところに目がいっていないからだと思う。

特に就活の面接の場では、自分への期待値を上げたまま「こう見られたい」を貫くと、
盛った姿で「素」が見えない、ということになる。

《自分はまだまだこんなところも、あんなところも至っていないところだらけだけれど》、あんな風にかっこよくなれるはずだ。なりたい。

の、《  》の部分を私はあまり見ないようにしているのが自分がまだまだ謙虚になれてない原因かな、とこの文章を書くうちに思えてきた。

私は都合が悪いことはすぐポジティブに捉え直してちゃんと向き合わないことがよくある。

挫折したことは?とか短所は?とか聞かれても、普段から自分の至らない面についてはすぐ忘れるし、考えることから逃げているから、すぐに答えられない。

就活は、そんな私の弱さに向き合う機会なのかもしれない。

でも、自分への期待値が今まで高かったからこそ挑戦できて、乗り越えられてきたことはたくさんある。

自分への期待値をそのままに、弱い部分をちゃんと認められるようになったら、私がすてきだなと思う「謙虚なおとな」に一歩近づけるのかも、しれない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?