私はどうして「人を喜ばせたい」のか

先日書いた記事(https://note.mu/memo_memoma/n/n64b360f33b82)で、

anataPRさん(https://note.mu/anata_pr)から、この問いをいただいた。

正直、すぐに言葉にできない自分がいた。

しばらく考えてみたんだけど、やっぱり書き出してみないと頭が整理されないと思ったのでnoteに書き出そうと思う。

実は「人を喜ばせて生きていきたい」「楽しく生きていきたい」と強く思うきっかけになった本がある。

やなせたかしさんの『わたしが正義についてかたるなら』という本だ。

そこにあった(詳しい文は覚えていないのだが)、「人は何もしなければ死の恐怖と向き合い続けなければならない。人生において仕事をしたり遊んだりすることで、その恐怖を紛らわせているのだ」という内容に感銘を受けた。

どうせ生きるなら楽しく生きようよ。とよく言われるが、その理由としてこの内容は、私にとってすごく説得力のあるものだった。

私はワクワクして生きたい。
小学校に行くのがとってもワクワクしたみたいに、働くのがワクワクしてたまらなくなりたい。

そういえば小学生のころ、私はクラスの図書係に熱中していた。

図書係の役割は確か、教室のすみっこにある学級図書の利用を整頓したり、朝読書を促したりすることだったと記憶している。

当時の私は、学級図書があまり読まれていないことを残念に思っていた。たぶん読書好きな私は良さに気づいていても、読まれていない本がたくさんあったのだろう。

そこで、学校の図書館で実施していた本のスタンプラリーを制覇するほどに読書好きだった私は、
その当時、学校の図書館の本を何冊か読むたびに栞がもらえるシステムに目をつけた。

そうだ、学級図書でも栞をプレゼントしたらいいんじゃない⁈

そして他の図書係の子とか友達と一緒にせっせと図書係のキャラクターまで作って、裏面に4コマ漫画までついた凝った栞を製作した。

あまりにのめり込んでしまって、「放課後にうちで遊ぼ!」のノリで自宅で友達と製作するまでになったのだが、これは後に先生に「学校の係のことは学校でやって下さい。家に持ち帰らない」と怒られることになる。

これは子供心に不満だったのだが(だって楽しく遊んでるだけじゃん!、という感じ)、社会で言うと「残業禁止!」的なことなのかも。

ここまでのめり込めたモチベーションは、
・ただただ作るのが楽しかった
・たくさんのクラスメイトが栞をもらいに来てくれた
・栞を集めるのが楽しそうなクラスメイトをみて嬉しかった

というのが大きかったと思う。

しかも最初の、「学級図書の利用を促進したい!」という動機は、その時すでにモチベーションにするほどではなくなっていたように思う。

自分が楽しくて、相手もそれで喜んでくれたり嬉しそうにしてくれる。

それが私が熱中してしまう条件だと、いま思っている。

つまり、最初の問い
「私はどうして人を喜ばせたいのか」の答えは、

私が私の人生に熱中したいから。

というのが今のところの答えだ。

自分の人生も相手の人生も喜びでいっぱいにして、彩りたい。




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