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94枚のスライドを作りながら泣いた話

昨年脳腫瘍で亡くなった夫の高次脳機能障害について、とある障害者福祉センターの講演会でお話させていただく。
夫は20年前くらいに巨大な脳腫瘍で倒れているのだが、その当時は「高次脳機能障害」の概念がまだ一般的ではなく(今もまだ一般的とは言えないが)、その言葉も知らぬまま退院、大変な思いをした。
高次脳機能障害の診断が確定したのは、発病から15年後だった。

彼について、入院時から「え?」と思うことは多々あった。でも3回の大手術を行い、メスを入れ、実際脳みそも減っている(!)。
頭が一番大切。有事の時にはとにかく頭を守りなさい!と言われるくらいの臓器なので、そこを取って無変化な訳はない。多少の性格の変化は覚悟をしていた。
でも、20年前、素晴らしい治療により身体障害なく退院した時、この変化が障害であり後遺症とは思っていなかった。なので、ここからは「社会生活が一番のリハビリ。そこで本人が気づいていきますよ。脳は学びますので。」と言われていたことをずっと信じてきた。
というより、確かに社会生活はリハビリよりも複雑だろうし、賢い彼なら気づいて学んでいくだろう。それ以外の方法はないと思ったのだ。

そうやって、いろんな「え?」を感じながら、フォローをしながら、泣きながら、耐えながら、闘いながら(笑)、過ごしていた。

「え?」は大したことがないことも多い。
たとえば、「餃子を作るので豚のひき肉を買ってきて」、と頼んだのに、ガッツリ1キロの塊を買ってくる、とか。
たとえば、「しりとり」や「マジカルバナナ」をやると、3回転目には何も出てこなくて止まってしまう、とか。
たとえば、チーズが大嫌いな子どものために買ってきたお祝いケーキがチーズケーキだった、とか(笑)

「この人フツーじゃない気がする。。。」と思うのだ。
でも、そんなこともあるかもしれないと思えば、思えなくもない。

そして、15年後に「高次脳機能障害」という言葉を知り、今までの違和感はこれか!と分かった。そこからリハビリも行ったが、そういう場は身体障害がある人が多く、それが無く、自覚もない彼からすると「俺はなぜここに通うんだ?」みたいな感覚だったと思う。正直、あまり効果はなかった。
さらに、通常の高次脳機能障害と異なり、脳腫瘍の再発で障害に拍車がかかった部分も大きく、解決策が見いだせることもなく彼は亡くなった。

講演は、それまでの道のりを、妻の視点から振り返ってお話しする、という内容。最後に「こうすると良いですよ~」という明確なオチがないのが申し訳ない。もっとも、この障害は個別性が高く、「こうすると良いですよ~」は無いので仕方がないのだが、当時の私も解決策を模索していた経験があるだけに、ヒントを求めて来られる方には申し訳ないなぁと思ってしまう。

高次脳機能障害は「気づきの障害」とも言われるくらい、本人が認識していないことは多々あると思う。当事者が感じることと、周囲が感じることは違う気がする。なので、周囲の視点から解説(?)することで、周囲が感じるお困りごとの理解が広がれば良いなと思っている。

当事者の方がいらしたら、聞いていて辛かったり、反論したくなる内容も入っているだろうなと想像している。それは心が痛むのだが、冒頭で「ごめんなさい」をすることで許してほしい。
オブラートに包むと伝わらなくなるのだ。

対象は当事者の支援者で、パートナー、ご家族、障害者福祉センターはもちろん、介護や支援関係者、医療従事者の方々も来られるらしい。
お世話になった方々も来てくださるらしく、ちょっとした同窓会になりそうで楽しみでもある。

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障害年金の申請その他各種手続きのために、彼の病歴を振り返ることは度々あった。でも、こんなにガッツリと、いつどんな症状があって、どんなことに困っていたか、妻はどんな心境だったか、会社とのやり取りはどうだったか、を振り返ったことはなかった。

ましてや、文字化することなんてなかった。

今回、障害者福祉センター主催という特性もあり、できるだけ視覚的にも理解しやすいようにして欲しいと言われていた。また、手話通訳さんも入るため、話す内容を簡単に事前に知らせてほしいとのご要望も頂いた。

さらに、医療従事者の方が知りたそうなポイントを具体的なエピソードを添えて振り返ろうと思うとものすごーーーーいことになった。

そのスライド枚数、90分に対して94枚!!!!
記録的な分量である(1スライド1分弱・・・)

たぶん、最多記録を更新したと思うwww

文字化のためには、ある程度ちゃんと状況や感情を整理せねばならず、すでに掘り返していた過去の記録以上に、色々なものを引っ張り出してきた。
当時、私が日記のように書いていた手帳、スマホのメールのやり取り(LINEがない時代)、過去の写真(ガラケー写真の画質低い!)、頂いた手紙、彼が嫌がったリハビリの漢字ドリル、4コマ漫画のプリント、などなど。

印象に残っていた出来事も、講演会の担当者の人に「これって発病何年後くらいのこと?」と突っ込まれると答えられないことが多く、それを掘り返してはスライドに落とす、という作業を繰り返した。
そして、当時の心境を振り返り、文字にした。

この94枚を作る過程で、たくさん、思い出した。
たくさん、泣いた。

あー、こんなこともあったな。こうだったよな。どうだったよな。
さみしいとか、悲しいとかではない。でも涙って出るものだなぁと思った。

ひとりで夜な夜な、お酒片手に泣きながらPCに向かう姿はホラーである。

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そんな思いで作ったスライド。
今日は、私が退職した会社の上司も来てくれる。
彼女は私を相当かわいがってくれて、評価もしてくれた。
でも、彼女に夫の話をすることなく、私はある日突然会社を退職した。

今日の話を聞いたら、裏事情がよーく分かって泣くだろうな。
その彼女を見て、泣かないように頑張ろうと思う。

そして、お世話になった関係者の方々には、これまでのお礼と恩返しの気持ちを込めてお話したい。

終わったら、ケーキたべるぞ。
がんばるぞー!





今日のスライドの冒頭に、
「本日の話は(一方的に)夫に許可を得ています」って書いておいたよ。
誰かのためになるのだから、許してね。
ま、有無を言わせずなのはいつものことだけど(笑)

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