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ヴィヨンの妻/太宰治(新潮文庫版)

太宰治を好きだと言って、恥ずかしくない時代になってよかった。

というわけで「作品より愛をこめて」の第2回。

そう昔は、太宰なんて読んでいると暗いと馬鹿にされたもので。暗くてジメジメしてて女子供が読んでる小説家の代表が太宰。

紙の本は絶賛断捨離中だが、文庫本など売っても二束三文なので、まだ太宰の本はほとんど残っている。全集は残すと決めた。やはり縛って資源ゴミに出すのは忍びなく、なかなかはかどらない。

初見が新潮文庫だったので、ちくま文庫の全集よりこっちに愛着があるんだが、どうも選べない。そこで全集を丸ごと残す事にした。現時点では双方残っているけれど。

自分には、新潮文庫は、奥野健男の解説付きのイメージが強い。文庫だから短編集は選集でもあるわけだ。

「親友交歓」「トカトントン」「父」「母」「ヴィヨンの妻」「おさん」「家庭の幸福」「桜桃」という8作品が収録されている。

末期の短編の選集として、見事な選びっぷり。粒よりだ。奥野健男が選者かなと思ったら、亀井勝一郎だった。なるほどなあ。

今の若い人からしたら、奥野健男も亀井勝一郎も、誰それって感じだろうが、なあに、自分もよく分かってません(という事にしておく)。

昭和の時代に活躍した作家には、典型的な太宰拒否症というのがあって、これは末期の太宰が、志賀直哉に喧嘩を売り(「如是我聞」という傑作評論集にて)、昭和の作家には、志賀直哉の弟子筋が多いという事と関係している(と思う)。

どのエッセイ集に入っていたか記憶が定かでないので、出典は明記できないが(記憶違いもあるかもしれない)、吉行淳之介が「自分もそろそろ太宰読もうかな」的な事を作家仲間(確か長部日出雄)と話した内容のものがある。そこで吉行は「津軽」という長編を評価している。

「津軽」という小説は上手い小説だ。教科書に選ばれやすいタイプの。つまり一般ピーボー好きのする太宰。つまり、太宰と言って「津軽」を選ぶのは、太宰治を好きではありませんと言っているのと同意。

太宰は、癖が強く、味の異なる、多彩な作品を書き続けた。ラディカルでやや分かり難い初期から始まり、小説としての完成度が只管上がっていく中期を経て、末期の「人間失格」に代表される破滅指向。それぞれの時期の作品に、自分はこれが一番好きだというファンがいる。

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自分が人に太宰を勧めるなら、この文庫。繰り返すが粒よりだ。青空文庫にも入っている。つまりタダでも読める。が、薄い本だし(その分当然安い)、出来れば、この新潮文庫で読んで欲しい。この8作が、この装丁で、まとまっている事に意味があると思う。


次回はまた映画について書く。古い古い邦画。「鴛鴦歌合戦」という戦前の映画について。



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