雨の純喫茶(午前中)で聴こう!エモエモな感傷に浸りたい時の小沢健二
みなさんは音楽を聴くとき、何を重視するだろうか。ノリ、リズム、声、色々あると思うが、私は間違いなく歌詞だ。洋楽でもクラシックでもK-POPでも、良いなと思った曲はまず歌詞をチェックする。
「こういう歌詞が好き!それ以外は聴かない!」というこだわりがあるわけではないので、変な歌詞だから(どんな歌詞)といって聴かないという事はないが、歌詞が印象的な曲はヘビロテする。
短い文章で「歌詞」と6回も書いてしまったが、私は最近、現実逃避や空想の世界に浸りたい時に音楽を聴いている。
「世界を滅亡させたい時に聴く曲」や「消費された気分になりたい時に聴く曲」など色々あるのだが、感傷に浸りたい時…現代の言葉で言うと「エモい」気分になりたい時に最適なのがオザケンこと小沢健二だ。
別に音楽の素養があるわけではない人間だが、こんな楽しみ方もあるよ〜と言う事で、個人的に好きなオザケンの曲(歌詞)を紹介していく。
いちょう並木のセレナーデ
オザケンの歌詞の特徴の一つに、状況描写の丁寧さ・身近さがあると思う。曲の中には日本に生きる私たちが見たことのある風景、聞いたことのある地域が登場する。目を閉じると、穏やかな埠頭を漂う船がすぐに想像できる。
合唱コンクールの定番曲「モルダウ」の対極だと思う。"なつかしき河よ〜モルダウの〜"と言う出だしから入る曲だが、多分日本人の大部分はモルダウに懐かしさを覚えない、と言うかどこにあるかも知らない。
船が出ていき段々と見えなくなっていく。「君」がそれを眺めている。さらに、船が出ていく様子を眺めている君を「僕」が見つめる。傍観に次ぐ傍観だ。
そんなぼんやりした光景(自分にはどうにもできないもの)を、1日1日と過ぎる日々と重ね合わせる。変わっていくものに折り合いを付けながら人生は進んでいく。
ブルーの構図のブルース
小学生の頃、放課後ピアノ教室に行く車の中で母がよく流していた曲。
学校も嫌いだったし、ピアノ教室もそんなに好きではなかったので(ごめんねお母さん)、いつも微妙な気持ちで車に乗っていた事を思い出す。
「1人でいたい、半島に行きたい」と言う歌詞とブルース上の穏やかな歌詞が「学校に毎日通わなくてはいけない」というタスクで神経をすり減らしていた私を一瞬だけ落ち着かせ、すぐにまた暗い気持ちにさせた。
こう書くと、そんな良い思い出のない曲なのだが、大人になって自由に余暇を過ごせるようになるとあら不思議。子ども時代の苦悩も懐かしく振り返られる様になった。
春にして君を想う
春のわけもないもの悲しさを歌った曲。涙がこぼれるのは花粉症のせいとか言ってはいけない。
この曲は全ての節が『オザケンの独り言+感想+静かなタンゴのように』で出来ていて、テンポもずっと一定で静かな曲だ。淡々としたメロディーの中で、私はこの「そんなことがたまらないのだ」で、「君」への愛しさが爆発している様に感じる。
この「たまらない」は「ウヒョ〜たまんね〜」ではなく、父親が3歳の愛娘から「ぱぱだいすき」と言う手紙をもらった時の「たまらないなあ」と言う感情です。
天使たちのシーン
1993年発表のこの曲の長さはなんと13分。(当時でもあまり無いと思うが)このサブスク時代には考えられない長さだ。この間、前述した通りのオザケンの繊細かつ身近な情景描写が延々と続く。身近ではあるが、「道にゴミが落ちてる」とかそう言う現実的なものではない。
夏から冬にかけての美しい季節の移り変わりを人の人生(輪廻転生だと思う、多分)になぞらえ、聞き手をうっとりさせた後で最後に出てくるのがこの歌詞だ。真意はオザケンのみぞ知るだが、この『神様』が特定の宗教の神を表している様には私には思えない。自分の心の中にある、辛い時にすがりたくなるものを漠然と『神様』と表現している気がした。
この曲の中で描写してきた美しい営みは、確実に存在しているものだけど、でも世の中にはそれ以上に汚いこと・悲しいことがある、それでも美しいことがあると信じて、生きることを投げ出したくない、そんなメッセージ性を感じる曲だ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?