【心まで冷える】ロシア美術の寒々しさ
2023年4月現在、ロシアを発端とする諸々の問題は解決していない。芸術と政治問題は切り離して考えるというありきたりな前置きをしつつ、今回は私の好きなロシア美術について書きたいと思う。
まず、ひとことでロシア美術と言っても、そこには国の歴史と同じくらいの年代幅がある。私の好きなロシア美術は、19世紀後半〜20世紀初頭に存在した「移動派」と言われる画家の作品たちだ。
例えばこれ。画家や作品名は知らなくても、美術や歴史の教科書でこの絵を見たことがある人は多いはずだ。
「移動派」についての説明は以下。
ざっくりいうと「偉い人たちウケを狙ったお堅い芸術はもううんざり!俺たちで、もっと現実を生きる人々を表現した新時代の芸術を作ろう!」とした人々の集まりだ。
そもそも、移動派以前のロシアの芸術は、歴史画、宗教画がメイン…綺麗なんだけど、割とありきたりだった。
さらに権威主義的。サンクトペテルブルクにあるロシア帝国芸術アカデミーがロシア美術界を仕切っており、学生たちはアカデミーの出すお題に沿って絵を描き、その絵はアカデミーによって評価される。
優秀と判断された作品はメダルをゲットできて、そのメダルのランクにより、地位が与えられたりヨーロッパへの留学ができたりした。一見すると単純明快な制度だが、アカデミーの好む"型"を外れた画家・作品は評価されない。モヤモヤする人たちが出てくるのは当然かもしれない。
移動派とそれまでの作品の違いは、カール・ブリューロフ『棺の中のキリスト』とイワン・クラムスコイ『キリストの受難』を比べてみるとよく分かる。前者は、キリストを神様として書いている。キリストの象徴である月桂樹の冠もあって、頭部にはオーラのようなものが出ている。ダメ押しで横に天使もいる。
一方、クラムスコイのキリストは人間くさい。「なんか悲しいことあった?」と声をかけたくなる暗さ。キリストの苦悩と、現代(クラムスコイの時代)を生きる人々の苦悩を重ね合わせた『宗教風俗画』だ。
「神様を俗っぽく描くなんて、冒涜だ!」と敬虔なキリスト教徒からは批判を浴びたらしい。自らの影響力や民衆と弟子たちとの関係で悩むキリストを描いたA・ロイドウェバーのミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」が批判を浴びたのと同じような構図だろう。
私が移動派に惹かれたのは、彼らの絵を見ていると望郷の念に駆られるからだ。それは、移動派の作品からはリアルな寒々しさが伝わってくるからだと思う。
私は北海道出身だ。冬は雪が積もり、気温がマイナス15度になる日もある。
一方、反旗を翻す前の移動派の面々が所属していた帝国美術アカデミーはサンクトペテルブルクにある。こちらの寒さもまた、THE・ロシアだ。
そんな背景もあってか、初めに移動派の絵を見たときに抱いた感想は「寒そう…!」だった。
あの人たちの絵を見てるとまだガラケーを使っていた中学生の頃、バスを乗り間違えて国道沿いの人気の無い場所で降ろされてしまい、吹雪が吹き荒れるなか、夜道で途方に暮れた経験を思い出すのだ。(北海道=ロシアと言っているわけではない、寒い地域という大雑把なくくり)
19世紀末のロシアは、革命の機運が高まり社会情勢が不安定だった時代だ。「大衆のための芸術」を目指した移動派の作品は、「寒いし、なんとなく不安」な当時のロシアの人々にも、北国出身のタイムワープ気質な現代人(私)にも刺さるのだ。
ところで、ロシア芸術に新しい風を吹かせた移動派は、約50年継続したのちに消滅する。アカデミアの反発から始まった組織も、その地位を確立するにつれどんどん保守的になる。血気盛んだった芸術たちも年老いて丸くなっていく。極め付けには、次世代の芸術家たちからの「絵画に社会的思想を込めるのはどうかと思う」という反発にも遭う。人間とは本当に逆張りする生き物だ。
現在、移動派の作品はそのほとんどがロシアの博物館・美術館に収蔵されている。ロシアへ行くことは戸惑われるこのご時世だが、いつか行ってみたいな、と思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?