産声は、光速を超える。
僕は1990/10/27に三重県は名張市に生まれた。
信心深い病院だったらしく、僕の産声はテープに残っている。
第一声で叫びすぎたのだろう。
主張ってやつが、とても苦手だ。
そのわりにコダワリはつよい。
耳触り、手触り、舌触り、黄金比…
「しっくりくる」にすべてを預けて生きている。
…と、同時に見た目の割に格好つけたがりでもある。
そんな僕が三歳だか、四歳だかの頃、埼玉県の東松山市に降り立つ。
引っ越しの道中では高熱を出していた、らしい。
ただ淡い記憶の中で、僕には思い当たる節があり…
周りの大人が引っ越しの作業中に忙しくしている間にフィルムケースに入った小さな金属の鈴を食べた。…間違えて飲み込んだわけだけれど、個人的にその中毒で熱を出したんだと思っている。これは自分だけの秘密だ。
年頃の男の子らしく、コタツから出てきたマイトガインの玩具に喜んだり
同い年のスーパーファミコンを欲しがったり、データが消し飛んで泣いたり引っ込み思案で甘えたがりが故に「後楽園遊園地で僕と握手」をしそこねたり…
すくすくと育ったわけだけれど、正直いえば
すんなりは育たなかった、たぶん。
僕が通った幼稚園には動物がたくさん居た。
ヤギやら馬やら、ニワトリにウサギ、あとモルモットに犬。
その犬が何をキッカケにしたのかわからないけれど、小屋の下に穴をほって出てこなくなったとき、動物にも感情があるんだなと感じたりもした。
ある日、肌が透き通るように白く、きれいな髪の女の子…ジャスミンと言ったような気がするけど…とにかく、そんな女の子がやってきた。
子供というのは残酷で、やれ「ハローっていえよ」であるとか「どこからきたの」であるとか、相手のリズムも価値観も関係なく聞くものだから、女の子は泣いてしまったり、孤立したり、それを見ながら私達が元来もっている残酷なまでのバランス調整(暴力)があることも知った。
そんなこんなしたあとで、小学生になる。
一番最初の思い出は…教室の席に置かれた名札。
左に付けてくださーい、と言われたものの…僕はトーマスのキャラクターをすべて言い当てることは出来ても、左右はいまいち怪しい筋を違えた才児だったので、真ん中に付けたらばしっかり注意されてしまう。
そこで隣の席の女の子、このみちゃんといったっけ…が正しい位置に付け替えてくれた。呆れられたけれども異性に甘えたがる僕が完成した瞬間でもあった。
それと同時に、席に縛り付けられる苦痛の始まりでも、あった。
―続く。
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