野菜洗うの超ムズい

 恥ずかしながら、私は料理をしない。
私は実家暮らしで、母が料理を担当してくれている。母の料理はいつも美味しい。
 食べることは好きだ。だが、食に興味があるかというとそうでもないのかもしれない。家に1人の時はカップラーメンにお湯を注いで食べる。米があれば米に卵を割り入れて醤油を垂らし掻き回して食べる。その程度のことしかしない。自分のために料理を作る気にはならないし、第一、母の料理に慣れたためか自分で作ってもあんまり美味しくないのだ。
 しかし昨日から、母は親戚の不幸があり急遽地元に帰っている。4日くらいは帰ってこないらしい。普段の食事から察するにおそらく野菜室には大量の野菜があることだろう。重い足取りで冷蔵庫の前に行き、野菜室を開けてみた。やはりか。多種多様の野菜。と、その中に春菊を発見した。春菊!!
 私は春菊が大好きだ×目の前の春菊はやや鮮度を失っているように見える=春菊は今食べるしかない。
私は春菊の胡麻和えを作ることを決意した。
 ボールに春菊をいれ、水を張る。上から春菊を掌で押さえつける。と、そこに現れたものに私は絶句した。いや、それまで何か喋っていたかと言われるとそういうわけではないが、とにかく絶句した。
家屋ひとつないど田舎の夜空を想像してほしい。空一面に瞬く星、その星が全て虫に代わった光景を想像してほしい。水面を埋め尽くす虫、虫、虫。えっ、ちょっとだけ想定外だよ。え、いや、虫がいることは覚悟してたよ。でもこの量はさ、、えっ、、
 ひとまず春菊を押さえつけながら水を捨てる。また水を注ぐ。宇宙を見る。水を注ぐ。捨てる。そんなことを十度くらい繰り返したが、虫はどんどん湧き出てくる。初めは浄水で洗っていたが、勿体無いので途中で普通の水道水に切り替えた。相変わらず虫はわらわらと出てくる。ひたすら繰り返す。冷たい水にさらされて手の感覚がなくなっても尚繰り返す。春菊をひっくり返したり揺すったりしてまた水を入れ替える。春菊を一枚ずつ洗うことも考えたが、春菊は濃い緑色をしているし、葉は縮れていて、小さな羽虫がどこにいるかなど少しもわからなかった。
 コンスタントに2〜3匹のアブラムシが浮遊する程度になった頃、私は思った。
冷静に考えよう。このまま続けても埒が開かない。何より水が勿体無さすぎる。我が家の食卓に春菊が並ぶことはこれまで何度もあった。それを調理した私の母は、食器の洗い方から推察するにそんなに丁寧に野菜を洗うタイプではない。おそらく春菊も例に漏れずだろう。つまり私は日常的に春菊の葉に潜む羽虫たちを摂取しているのだ。だいたい虫なんてタンパク質だ。栄養素という大きい括りで見れば人間も虫も一緒だろう(カニバリズム肯定派?)。そういえば昔母が作ってくれた味噌汁に芋虫が二匹入っていたことがあった。弁当の蓋を開けたら小蝿が三匹飛び出ていたこともある。田舎の友達のうちに遊びに行ったらカボチャに蟻がびっしりついていたこともある。でも全部食べた。さしたる問題ではないじゃないか。むしろ取れる栄養素が増えてラッキーである。好んで虫を食べる人もいるくらいだ。
そんなことを考えながら、しかし今張っている水はちゃっかり流し、それ以降あまり春菊をじっくりと見ないようにしながら鍋に湯を沸かして春菊をさっと茹でた。
 茹で上がった春菊の水を絞りながらふと鍋に残った茹で汁を見ると、二匹のアブラムシが浮いているのを発見し、やはりほんのちょっとだけ嫌な気持ちになった。でも大丈夫。これ以降春菊についた虫を発見することはないだろう。手の中の春菊はもうクタクタになっている。これから胡麻をかければ余計にわからなくなる。急いでゴマと砂糖と醤油をかけて混ぜた。なんか味が寂しかったので醤油麹を入れた。虫の判別不能度合いに拍車がかかった。
 虫を食べてると思ってるせいで気が散るのか、いつもより美味しくない気がする。ごま油を回し掛けた。急にうまい。4人分の春菊の胡麻和えはあっという間に半分になり、4分の1になり、ゼロになった。気分を良くした私は、アブラムシ入りの茹で汁を再度沸かし、カップラーメンに注ぎ入れた。結局うまいと全て許せるのだ。今度昆虫食にチャレンジしてみてもいいかもしれない。

 母に今回の事件についてLINEで報告したところ、返事が返ってきた。「ああ〜それ無人販売で買ったやつだからね。母は3時間ほど水につけて野菜がしゃんとしてから洗うよ。虫は全部流してるつもり。」

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