見出し画像

冷たいストロベリーの/ゆみさん


このインタビューでは、はじめにみなさんに、「さいごに食べたいおやつ」を伺います。それをきっかけに、「さいご」について考えていることを深堀りしていきます。今回は、介護職のゆみさんにお話しを伺いました。

画像1

ゆみ/大学卒業後から介護の仕事に従事。介護付き有料老人ホーム、グループホームで経験を積み、今現在は都内の看多機にて就業中。趣味はハンドメイド。刺繍やミシンソーイングが好き。note:https://note.com/floweribon

―ゆみさん、はじめまして。さっそくなんですが、ゆみさんのさいごに食べたいおやつ、ずばりなんですか?

こういう経験をしていなかったらまた違う答えになるんだろうなと思うんですが……やっぱりアイスクリームがいいかなと思います。

―いいですね!とっても現実的ですね。

最期まで、みなさんおいしそうに食べるのがアイスだなぁと思って。

―たしかにそうかもしれません。

ごはんがなかなか食べられなくなっても、アイスはおいしそうに食べる方が多くて、最期まで「おいしい」って感じるんだなぁってケアの中で感じていて。だったら、最期に「おいしい」って思えるものを食べたいなと思います。この経験をしていなかったら、きっと答えは違うと思います。笑

―具体的に、このアイスがいい!っていうのはありますか?

ハーゲンダッツのストロベリーが大好きで、それがいいです。
口当たりもいいし、さっぱりしているし。

―おいしいですよね、ハーゲンダッツ。ちなみに、飲み物は?

なんだろう……最期ですもんね。
やっぱり水じゃないですかね。それかポカリみたいなさっぱりしたもの。
お茶では、ないんですよね……

―それも経験によるものですか?

そうですね、口の中も渇くだろうから、すっきりしたものがいいかなと。

―やっぱりおいしい水のほうが?

そうですね、せっかくだったらおいしい水を!

―なるほど。経験に基づくお話で、おもしろいです。

―大学で福祉を勉強されてたと伺いましたが、学生時代の介護のイメージってどうでした?

最初は現場に入るつもりはなくて、どちらかというと総合職に興味がありました。就職活動で内定をもらったのが全員介護職からスタートの会社で、現場をやりたい!と思って介護職に就いたわけではなくて。介護業界で働くには、まずは現場を知らないといけないんだと思って、ある意味そこで覚悟を決めた感じです。

―現場をサポートする仕事がしたかったんですね。最初、現場を選ばなかった理由ってなにかありましたか?

現場で自分がやれると思わなかったです。体力的に。あとは、お給料のこともあるし。

―なるほど、共感する方が多いと思います。

―今までお仕事されてきた施設は?
介護付き有料老人ホームと、グループホームです。どちらも、看取りケアをしていました。

―介護の仕事に就くまで、看取りについて考えたことはありましたか?

それは、全然なくて。身近な人が亡くなるのを社会人になってから経験したので、人が死ぬということを考えるきっかけがなかったです。日常の中で、触れる機会もありませんでした。大学で死生観を考える授業もあったような気がしますが、覚えていないんですよね。あったとしても、そのときの自分にはリンクしなかったんだと思います。

―会社に入ってから、看取りケアに関しての研修などはありましたか?

特になくて、現場で経験の中で学んできました。体系的に看取りについて学ぶ機会は、今までなかったです。

―介護職として、はじめての看取りでどう感じました?

最初は本当に必死で、この間まで元気だった人があれよあれよとこんなにも変わっていくのか、と常に感じていました。こんなに食べられなくなって、弱っていくんだと。
死に向かう人の変化を目の当たりにして、私自身が動じたりはありませんでしたが、とにかく最期に苦しくないように、と。最期できることって本当に限られているんですが、それをきちんとやることだけに必死でした。

―「できることが限られる」とおっしゃっていましたが、先輩がやっていることを見ながら身につけていった?

そうですね、先輩が細かく教えてくれました。本当に普通のことなんですけど、こまめに様子を見に行って、口が渇いていたらきれいにして、褥瘡を予防するために姿勢を直して。そういったことは先輩から学びました。

―人の死に触れる機会がない日常から看取りが仕事の一環になってきて、死についての考え方に変化はありましたか?

死っていうと、悲しいとかつらいとか、そういうイメージが一般的に先行するかと思うんですね。軽々しく口にしちゃいけない、みたいな。でも、生きている中での延長線上に死っていうものがあるんじゃないかって。
今までは対局にあるものとしてとらえていたと思うんですけど、そうじゃなくて、死ぬってことも生きることの一部だと、自分の中のとらえ方が変化したように感じました。

―そう思えるようになった何かきっかけがありましたか?

きっかけというのはなくて、経験の積み重ねで考え方が変化して言った感じですね。

―なるほど。ゆみさんは、人が死んだらどうなると思いますか?
スピリチュアルってわけではないですが、死んでも、すべてが終わるとか、無になる、とは思っていないです。魂はちゃんとあって、それは永遠に生き続けるのかなと、別に何の根拠もないんですけど、感じることはあります。

―看取りケアで意識していることってありますか?
施設で最期を迎えることの醍醐味は、人とのかかわりの中で、人の温かみを感じながらっていうことだと思っています。
たとえ返答がなかったとしても話しかけたりとか、触れたりとか、人がそばにいるってことを感じていただけるように、それは私だけではなく他のスタッフもそのようにかかわっていました。

―たしかに、人の気配があるでも、安心感につながりそうですね。

そうですね。そういうことは最期まで感じると思うので、看取り期の方は30分に1回とか、様子を見に行っていました。

―印象に残っている看取りはありますか?

ご主人の命日と同じ日に亡くなられた方がいたんですが、私、その前日に不思議な光景を見たんです。亡くなる前日は、もうほとんど深い眠りについている感じだったんですが、ご様子をみるためにお部屋を覗いたら、天井に向かって祈りをささげているようなポーズをしていて。

亡くなったときも、ご家族が到着して数分後に息を引き取られたので、ちゃんと待ってたんだなと。
きっと私はご主人に呼ばれた瞬間を見たのかな、と周りの職員と話したりしました。

―最期に立ち会えるご家族も、そんなに多くないですよね。

今までの経験で、ご家族がそばにいる方のほうが少ないです。ずっとそばにいたけれど、ちょっと外に出ている間に、一人ですっと、という方が多くて。

―その方はご主人と仲がよかったんですか?

ご主人は何十年も前に亡くなっていて、あまり話は聞いたことがなかったです。施設にいらっしゃる前は息子さん家族と暮らしていたんですが、施設に入居することにご本人が納得していなくて、入ってから精神的に荒れてしまって。私は家族に捨てられた、見捨てられたという感覚が強く残ってしまっている方でした。
自宅にいるとき、ご家族には介護疲れが見られていましたが、施設に入って少し距離ができたことで関係性もよくなっていって、定期的に面会にも来てくださっていました。

看取り期と言われてから、少し期間が長かったんです。9ヶ月くらい、何回も生死をさまよいながら、復活して。
今思うと、きっと家族で過ごすための時間が必要だったのかなと。
ご家族は、家族の意思で施設に入れてしまった、という負い目を感じていて、わだかまりがあったようです。でも、その9ヶ月間で熱心にかかわって、最期までなにができるかを一緒に考えて。その9ヶ月という時間は、家族に見捨てられた、と思っていたその方にとっても必要な、大事な時間だったのではないかと思います。
最期は苦しまず、すーっと亡くなりました。

―それでご主人の命日と同じ日に。すごいですね。その期間、医療的な処置はありましたか?

なにも医療的な処置をしないと医師とも話して決めていましたが、1度体調を崩されたとき、このまま何もしないのは心苦しい、と話されて、点滴をしたことはありました。

―直面して気持ちが変わることもありますね。

そうですね、決めていたとしても、いざとなると気持ちがころっと変わってしまうことはあるんだなと思いました。何もしないよりは、何かしたら回復するんじゃないかと希望をもっていたんだと思います。実際にそのときは回復したので、それはよかったんじゃないかと思います。

―ご家族の気持ちもわかるし、線引きが難しいですよね。

とても難しいです。

―今いらっしゃるのは看護小規模多機能と伺っています。

はい。まだ勤めはじめたばかりですが、施設と違って、ご家族が中心でケアしていくのが大きな違いかなと思います。
主体が家族になって、こちらがそれをどうサポートするかになってくるのかと。

―これまで、看取りにかかわることでメンタルが辛いことはなかったですか?

それはなかったです。

―すごい、動じなかったんですね。

周囲のスタッフが、ベテランさんが多い環境だったので。

―頼れた?

介護歴30、40年のベテランぞろいだったので、何があっても動じないというかどっしり構えていました。そういう中だったから、やってこられたのかもしれません。

―看取りケアを振り返る機会はありましたか?

特に話し合う場があったわけではないですが、もう少しこうできたらよかったね、と日常の会話の中で、個別で話すことはありました。

―これまでの経験を踏まえて、ご自身の家族と、看取りについて話したことってありますか?

ないんです、それが。家族とか友達とか、やっぱり話題にならないんですよね。亡くなった祖父母や、犬猫の話は思い出話としてしょっちゅうあるんですけど、父や母とどういうふうに死にたいかとか、そういう話はしたことないです。今のうちから話しておいたほうがいいんだろうな、とは思うんですが、なかなかやっぱりタブーというか、話題として気軽に提供するものではないということが、自分の中にもあると思います。

―人生会議、ACPといったことばが、一般的に広がらないのはなぜだと思いますか?

死を考えたり、学んだりする機会が日常の中にどこにもないんだなと思います。私もこの仕事をしていなければ、きっと自分事としてとらえて考えたりはしなかったと思います。

―どうしたら身近な人とも話してみよう、と考えると思いますか?

「死」というと、を重くて暗い、一歩引いちゃうみたいなイメージがあると思うので、そこからかなと思います。みんなが子育てのことを話すみたいに、そういう感覚で介護や死のことを話せるようになれば、と思います。

―たしかに。子育てのことを話すみたいに、というのはイメージしやすいです。

―影響を受けた本や映画などはありますか?

玉置妙憂(たまおきみょうゆう)さんという、僧侶であり、看護師であるという経歴を持つ方がいるんですが、1度その方のセミナーに参加して、目から鱗の思いをしました。
玉置さんは、癌だった旦那さんをご自宅で、医療的な処置をせず自然のまま看取ったという経験をお持ちの方で、その死に方があまりにも「美しかった」とおっしゃっていました。

最期ってなると、私たち介護職でもそうだと思うんですが、少しでも食べさせなきゃとか、なにかしてあげなきゃとかって考えてしまうのが人間の常だと思います。でもその話を聞いて、なにもせず自然に、枯れるように亡くなるというのが、人間の自然な生き方なのだと納得がいって。それが本来のあるべき姿なのだと感じました。

現場でよく、「少しでも多く食べさせられるほうが腕のいい介護職だ」という風潮があると思うんですが、それがすごく嫌で。「食べたい」より「寝たい」が勝っている方に対して、私はご本人の思いを優先したいと考えても、「それはしっかり起こさないから食べられないだけでしょ」と言われて、葛藤することもありました。
それを玉置さんに相談したら、「それはやる側の自己満だから、あなたの考えでいいのよ」と言ってもらえて、ちょっと楽になって。

―心の支えになる言葉ですね。

私が間違っているのかとずっと悶々としていたので。

―やる側の自己満ということばは胸に留めなければ……

少なからず現場の中に、こちらがケアを提供することが目的になっているみたいなことっていっぱいあるなと思っていて。食べさせる、食べさせないみたいなことだけではなく。

―看取りケアに限ったことではないですね。そもそもセミナーにはなぜ行こうと思ったんですか?

TVでその方を知ったのと、本を読んで「この人に会ってみたい」と思って調べたら、会える機会があると知って、足を運んでみました。

―どういう部分にぐっと惹かれた?

自分が思っていたけれど、言葉にできないことを全部わかりやすく言葉にしてくれた感じです。
本の中でも、聞きに行った話の中でも「これだ、私が言いたかったのは!」と感じました。

―ゆみさんが言いたかった「これ」って、具体的にことばにするとどういったことですか?

介護をしている中で、身体的なケアを越えた次元にある、「自分はこれからどうなっていくんだろう」とか、死に対しての恐怖とか、そうした思いをどうケアすればいいんだろうと考えることがあって。
そういうことに対して、課題を呈しているところにすごく共感できました。
目に見える部分だけでなくて、目に見えないところにどうアプローチしていくか、そこでスピリチュアルケアを実践している方で、そういったところに深く共感しました。

―看取りケアって、身体的なことにフォーカスされがちかもしれません。

目に見えない部分だからこそ言語化しづらいっていうのもあると思うんですよね。これから人がたくさん亡くなっていく社会になるので、そういった精神面のケアにも目を向ける視点が必要なんじゃないかなと思いました。

―そんな方に心の支えとなる一言をかけてもらったのは自信になりますね。

そうですね。同じ考えを持った人がいる、というだけで、強くいられますね。

―これから挑戦していきたいことなどはありますか?

グリーフケアをもう少し学んでいきたいと思っています。亡くなったらそれで終わりじゃなくて、亡くなった後もすごく大事なのではないかなと。いつも、亡くなったらそこであっさり関係性が終わってしまうことが多かったので、その後にも家族にかかわれたらいいなというふうに思います。
どんな選択をしても多少の後悔は残ると思うんですけど、亡くなってからの心境とか、ご家族がどんな思いをしているか、いつも気になっています。

―たしかに、時間を置いてから言語化できることもありそうですね。

そうですね。選択に対しての後悔についても、選んだ選択肢を正解にするしかないと思うので、そう思えるように家族にもいてほしいなと思います。これでよかったんだ、と思ってほしいです。

―有料老人ホーム、グループホーム、看護小規模多機能と、いろいろなところで働いたことで多くの視点をお持ちですね。

私、今まで胃ろうに対して否定的だったんですが、今在宅ケアの現場で、本当にいろんな方がいらっしゃって。普段は胃ろうから栄養を注入して、昼だけ食べる楽しみでペースト食を召し上がっている方がいて、いろんな形があるんだなと思って。必ずしも胃ろう=駄目なもの、ということじゃないんだと考え方が変わりました。

―胃ろうを選択したあとにこれでよかったのか、と悩むご家族もいて、難しい問題ですね。

本当にそうですね。どういう思いで選択したのか、という部分が気になります。見殺しにできない、命がかかっていると思ったら、救うほうを選ぶのも当然かなとも思いますし。

―「子育ての話をするように自分の意思について話せる」ということがより重要なのではと感じます。

―最後に話しておきたいことはありますか?
過去を振り返って、考えたことを整理できる機会になりました。

―ありがとうございました。また、在宅でのケアのお話もぜひ聞かせてください!

編集後記/「みんなが子育てのことを話すみたいに、そういう感覚で介護や死のことを話せるようになれば」という言葉は本当にその通りだなと思います。ゆみさんのお話を聞いて、改めて「死についての教育」の機会が介護職のみならず、誰にとっても必要なのではないかと感じました。そして、ハーゲンダッツのチョイスも、きっとみなさん納得でしょう。私は冷凍庫に入れて大事に大事にとっておいて、特別なときに食べよう、と思っていたら忘れてしまい、しばらく経って霜だらけになっているところを発見したことがあります……それはさておき、柔軟な考えを持ち、看取りのあとのご家族のケアも考えるゆみさんの、今後のお話もぜひ伺えたらと思いました。

ゆみさんのnoteもぜひ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?