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レーズンのあれ/加藤沙季さん

このインタビューでは、はじめにみなさんに、「さいごに食べたいおやつ」を伺います。それをきっかけに、「さいご」について考えていることを深堀りしていきます。今回は、介護職の加藤沙季さんにお話しを伺いました。

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加藤沙季/新卒で介護をはじめ、もうすぐ4年。特別養護老人ホームで働いていたが、最近異動があり、訪問介護をしている。好きなものは美味しいコーヒーとお酒、趣味は旅行。

―ではいきなりですが、加藤さんのさいごに食べたいおやつ、なんですか?

もう、いっぱいありすぎて困るんですが、鎌倉小川軒のレーズンウィッチが好きで。それとコーヒーがあれば、もう……(目を閉じて合掌のポーズ)

―おぉ……!レーズンサンド最高ですね。そしてその組み合わせ。

ですね。最高です。あと、チーズケーキもすきです。コーヒーは最近、ミルで豆を挽いて飲んでいます。

ー末期の水ってあるけど、それはコーヒーがいいですか?

いや、それは日本酒です!純米大吟醸でお願いしたいです!

ーなるほど……同感です!

ー加藤さんは、特別養護老人ホームで介護職として様々な方の看取りと向き合ってきたわけだけど、仕事を始める前に「看取り」について考えたことはありましたか?

うーん、あまりなかったです。

ー学生時代に、死そのものや看取りについて考える機会はありましたか?

施設の役割などは知識としてありました。看取りについては、正直考えたことがなかったです。小6のときに祖父が亡くなって、はじめて亡くなった人をみました。

―そのとき、なにを考えましたか?

理解するのに時間がかかりましたね……

ーはじめて直面してどういうものかわからなかった、って感じ?

会うのは長期休みに限られていたし、会いにいったらいるんじゃないか、という感覚でした。死んじゃったら会えない、ということがわかってたけど、わかってなかった。人って死んじゃうんだ、と思いました。

―いなくなってしまうことで、今までいたことを実感したんですね。事実は素直に受け入れられましたか?

実際に目でみて、身体に触れさせてもらって、冷たさを感じて事実だと認識しました。

ー触ってどう感じました?

びっくりしました。冷たい人に触ったことがなかったので。きれいだったからしゃべりそうだと思いました。そのあと、お骨を拾ったのもすごく覚えています。お骨になってしまうと、面影がなくなってしまって「儀式をしている」という感覚でした。

―触るのも勇気が必要だったのでは?

触ってあげて、喜ぶから、と家族が言ってくれたのを今でもよく覚えています。

―経験をふまえた上で、仕事として看取りにかかわることに最初どんなことを感じましたか?

すごく責任を感じました。家族でもないし、入職して1年目で、人の死の瞬間に立ち会うのが自分でいいのか、と思いました。夜勤のとき、巡回して呼吸が止まってたらどうしよう、という不安感が強かったです。

―はじめての看取りは覚えていますか?

はい、しっかりと覚えています。そのとき、はじめてエンゼルケアをさせてもらって。亡くなった方の身体を拭いて、隅々まできれいにして、お化粧して、浴衣を着ていただいて、こうやって送り出すんだ、と学びました。かかわらせてもらってありがたいなと思ったし、まだ自分に自信がなかったので、自分でごめんなさいという気持ちもあったりして。

その方は食事の量が減って、状態が低下してきていたので看取り期だとわかってはいたのですが、前日まで食べ物を口にしていたのでこんなに早いのかと、受け止めるのに時間がかかって。亡くなった身体に触れることで、実感を得ていきました。

―亡くなったあとのケアで、気持ちが変化していったんですね。その後の気持ちの変化はどうでしたか?

次の日からはまた日常が進んでいて、それも大事なことなんですが、その方がいない中で日々が進んでいくことがもやもやしました。思い出話もしたかったし。

自分が言いたいことを言えるようになってからは、チームのメンバーを集めて話せる場を作ったりしました。1つじゃなく、いくつも感情があって。喪失感や、よかったねという気持ち、後悔とか。

月1回のチームミーティングがタイムリーにあればいいんですが、時間が空かないうちにやりたいという思いがあって、夕方の申し送りの時間を使ってやっていました。

―振り返りをしたことで楽になりましたか?

共有することで、みんなで次につなげようと思うことができました。楽にはならないけど、マシにはなったかなと思います。

―これまでの看取りの中で、モヤモヤが少なかったことはありますか?

100歳を超えてお亡くなりになった方がいて、まさに自然な死が迎えられました。コロナ禍のお看取りでしたが、食事量が低下して、状態が低下してからこまめにご家族に電話をして、亡くなる前にもご家族に会っていただけました。とても寂しがりな方だったので、最期まで人とのかかわりを大事にしたいねと話して、いろんな人を部屋に呼んで、手を握ってもらったり声をかけたり。「散歩してたから会いにきたよ」みたいな。亡くなってからも、入居者さんがその方の枕元のお花を整えに訪室してくれていて、社会的なつながりも最期まで保てたな、と感じました。年齢もあるとは思いますが、ご家族も、大往生だね、と笑顔で。診断書の「老衰」の文字は、「かっこいいな」と思いました。

―そのようなケースって、どんな要素があると思いますか?

職員が些細な変化をちゃんと拾って話題に挙げていました。「最近寝てる時間が増えたよね」「自力で食べる量が減ったね」「姿勢が崩れるのが早くなったみたい」といった変化を話題にすることで、対応を早めに検討できました。

その入居者さんは、白いごはんが大好きで。戦時中を生き抜いてきた方なので「白い飯はうまい」「飛行機が飛んでなくてよかったな」とよく話していました。飛行機が飛ぶ中、子供を抱えて走ったそうで、足が速くてよかった、男の子には負けないんだとよく話していました。食事量だけでなく、タイミングや、形態、白いごはんは食べたいだろうね、と相談していました。

姿勢が保てなくなって横になっている時間が長くなってきたとき、居室に1人でいるのは「寂しいよね」という話になって。最初はリビングにベッドを持ってこようか、という話もしていましたが、静けさがないことだったり、プライバシーがないことが生命力の消耗につながるんじゃないかと考え、結果的に、みんなが部屋を訪室する形になりました。

ご家族との関係性も1つの要因だと思います。食事の相談をしたときも、好きなもの食べさせてあげて、食べられなかったらそれはそれで無理に食べなくても大丈夫だから、と。

―今は在宅介護の部署に異動したばかりですが、看取りケアについてはどうですか?

異動したばかりでしたが、施設から在宅で最期を迎えることを選択された方がいて、その方のケアに入らせていただきました。1か月ほどでした。

施設に長くいらした方で、職員との関係性も深い方だったので、最期の場面でこれまで関係性のなかった訪問介護の職員がかかわることに少し申し訳なさもありました。でも自宅に帰ったからこそ、ご家族で公園に行くなど出来たこともあって、そういった選択肢があるのはいいことだと思います。

ご家族がいるときに息を引き取られたそうで、ご本人も安心だったんじゃないかと思いました。

よかった、と感じた一方で、こまめに観察して、やりたいケアができないもどかしさも感じました。限られた時間で出来ることをやったつもりですが、水分を飲んでもらうにしても、決められた訪問介護の30分が本人のタイミングじゃない、ということもあって。じゃああと10分後に来よう、ということが訪問介護だと出来ないので、そこは悔しかったです。もっと出来ることもあったんじゃないかと思っています。

―時間に区切りがあると、もどかしいですね。

はい、ずっとその方の家にいたい、と思っちゃいます。笑

―施設でも在宅でも、もどかしさを感じる場面はあるかと思いますが、そんな中で看取りケアを実践するときに大事にしているポイントはありますか?

最初の方は、状態が低下してきて看取りケアだ、となったときに、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、がんばらなきゃという気持ちでいましたが、最近はそれは違うと思ってきました。やることは減った方がいいんじゃないか。看取り期だからやる、ということに違和感を感じるようになりました。

後悔の残る看取りって、元気なときにできなかったことが、多いんです。毎日、どれだけ積み重ねられたかがが最期にくると思っていて。大事なのは日頃のケアの積み重ねで、看取りケアだけ頑張るというのは違う。最期に取り戻そうとするのはおかしい、と思います。

―最期に悔いがないように、と慌ててあれこれするのは介護職のエゴなのかもしれないですね。

最期に枯れるように亡くなっていくことを整えるのが看取りケアで、本人の願いを叶えるというのはもっと前の次元に積み重ねでやることだと思います。最期の段階で私たち介護職がするのは、空気を整える、衣類を整える、身体が痛くないように姿勢を整える、ずっとつながりつづける、というところになってくると思うから、日頃のケアが大切。看取りだけを取り上げるのではなく、全部がつながっていると思っています。

状態が低下してから、「これをやったほうがいいんじゃない」とか、周囲の人が急にやってきて声をかけるのも不思議に思います。もっと日頃からかかわっている人が増えたらいいのに、って。

―普段かかわりの少ない人ほど口を出してくる、という現象は起こりがちかもしれません。

あれ?愚痴になってますか?怒りたいわけではないんです。

―すごく大事な視点だと思うので、上手く記事にしたいと思います。笑

―今まで介護職をしていてつらかったことはいくつかあるかと思いますが、看取りケアにフォーカスして辛かったことってありますか?

すごく熱心なご家族が、状態低下の過程を受け入れるのが難しくて、呼吸が停止したときに「息して!ねぇ!」って言っていた姿が忘れられなくて。その後のご家族が元気にしているかもすごく気になっています。毎日面会に来て、自分がなにをしたらよかったか今もわからないけど、あの言葉を聞いたときに、納得感のある亡くなり方を支えることが出来なかったことを考えてしまいます。

―だんだんと状態が低下してくる中で話し合う機会を何度か持つけれど、どうしても受容が難しいご家族もいますね。

そのご家族の、死を受け入れるまでの気持ちの経過にも寄り添いたかったです。おこがましいかもしれないけれど。

―寄り添いたいという気持ち、一緒に悩むということがご家族の救いになると感じます。

伝えることから逃げていた自分もいて。難しいけれど、そこから逃げちゃいけなかったな、という反省があります。介護職の役割に疑問を持ったときに、「最期にやることが医療行為ではなくて、自然な死に近づけること、そして身体の向きを変えるとか、着心地のいい服を着てもらうとか、そういったことがいい亡くなり方につながると伝え続けることだ」と言われて。それを伝えきれなかったなと。

―本人のことを考えたら負担かもしれないと思うことでも、ご家族に「できることを最期までやってあげた」という気持ちを残すために、医療的な処置が選択されることもありますね。

その「できること」というのが点滴になってしまうのが、悔しいなと。きちんと、それが身体をきれいに保つことだったり、部屋の環境を整えることだったり、もっと他にもあるということを伝えられてたらよかったなと。

―「枯れるように亡くなる」のがどういった過程を追うものなのか、もっと伝える場面が必要なのかもしれませんね。

―今のような気持ちを、普段どう処理していますか?

意識的に話す時間を設けました。いろんな話し方があると思っていて、ただ思い浮かんだことを聞いてもらう段階と、整理する段階です。最初は同期に聞いてもらっていて、整理する段階で、よかったことと次に生かせることをチームメンバーで話すようにしていました。次に生かすこと、そのままにしないことが私たちに唯一できることだと思っていて、亡くなった方は帰ってこないので、他の方のお看取りのときに、以前振り返りでできていなかったことが「できたこと」として上がってくると、その方の教えが継承されていると感じます。

家族に救われることも多いです。お見送りのとき、「大変だと思うけど、あなたのおかげでこの人ここまで生きてこられたのよ。身体大事にして、これからも続けてね」と温かい言葉をかけてくださって。

―家族がケアしてくれたんですね。

はい。がんばろう、と思いました。

―あっというまに時間になってしまいました。最後に伝えたいことはありますか?

この4年あっというまで、いろんなことがあったなと話しながら改めて思いました。起きたことの捉え方や、思っていることが少しずつ変わってきていると実感しました。こういう時間を職場でも作って、みんなの話を聞きたいなと思います。

―ありがとうございました。今後のご活躍も応援しています。

編集後記/施設と在宅、どちらも経験している加藤さんならではのするどい視点、日々感じているもどかしさ。共感が多く、日々のケアの積み重ねがいかに大事かを考える機会になりました。また、看取りに限らず「ケア」とは何かを介護職自身の言葉で伝え、揺れる家族の思いに共感しつつ、「ご本人がしたいこと、してほしいこと」が何か、を一緒に探っていけたらと感じます。 それから、おやつの趣味が合って熱が入ってしまいました。写真がない(すぐ食べちゃうので)とのことで、ケーキの写真を提供いただきました。これもおいしそうです。ちなみにこれがきっかけでレーズンウィッチを調べていたところ、鎌倉以外に「小川軒」とつくレーズンウィッチを取り扱うお店が都内に3店あるそうです。気になる方はぜひ調べてみてください。あと、日本酒の銘柄を聞いておけばよかったなと思いました。

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