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目が覚めるような/小野寺美佳さん

このインタビューでは、はじめにみなさんに、「さいごに食べたいおやつ」を伺います。それをきっかけに、「さいご」について考えていることを深堀りしていきます。今回は、介護職の小野寺美佳さんにお話しを伺いました。

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小野寺美佳(おのでらみか)/千葉県出身。新卒から特別養護老人ホームに勤務してこの4月から4年目。最近の趣味はラジオ。知らない国の料理を食べるのが好き。note:https://note.com/mikasayama36

ー小野寺さん、さっそくですが最期に食べたいおやつを教えてください!

そうですね、最期って考えると、果物がうれしいのかもしれないって思って。桃とか、いいですよね。職業柄めちゃめちゃ考えて、最初ぱっと聞かれたときはマドレーヌ!って思ったんですが、嚥下的に無理かーって。(考えちゃって)もうやだーんって。

―やっぱり現実的なこと考えるんですね。笑

考えました。いや、ヨーグルトかプリンかなぁって。でも桃ならいけるかもって思って。

―本音はマドレーヌ?

はい、仕事の知識が影響してなかったらマドレーヌですね。元気なくなってきたときだと、桃とか、みかんとかグレープフルーツとか、しゃって目が覚めるやつのほうが、身体に元気がいきわたりそうな感じがします。

―普段からフルーツが好きなんですか?

好きです。1番好きな果物はみかんなんですが、桃ってすごく幸せな味がしますよね。

―いい表現ですね。白桃?黄桃?形状はどうですか?しゃくしゃく食べたいか、ペーストか。

白桃がいいですね。可能であればしゃくしゃく食べたい。出来れば噛みたいですね。厳しければペーストでも……!

―飲み物はどうですか?

なんでしょう……普段からオレンジジュースが好きです。

―さっぱり系が好きなんですね。こだわりはありますか?

100%のやつがいいですね。メーカーまでのこだわりはなくて、いつもスーパーで買ってきます。

―あっ、気づいちゃいました、今もオレンジジュースを飲んでいますね。

―小野寺さんが介護職に就く前のお話を少し伺いたいんですが、大学では何を学んでいたんですか?

大学の専攻は文化人類学です。元々は少数民族のところにいって、その民族がどういう文化や価値観で生きているのかな、っていうのを研究するんですけど、それが転じていろいろな地域にどういう人たちがいるんだろうっていうのをフィールドワークって形で、どういうふうに動いているかっていうのを研究するという分野でした。

―海外の研究もしていたんですか?

教授はそういう人もいました。私は主に日本で、例えばゼミだと、都内のお祭りに行ってインタビューをしました。その祭りがどういうふうに運営されているか、なにを大事にしているか、みたいなことを聞いていました。そこにいる方たちにじっくりお話を聞くのが大事だったりするので、大学院に進んだら海外に何ヶ月っていう単位で研究しに行く人もいるんですが、学部生は学校に通いながらなので、通えるエリアで出来ることをやる、という感じでした。

―そもそも、文化人類学に興味を持ったきっかけは?

文化人類学やフィールドワークをやりたい、と思ったのは、大きい文化より、小さい民族やマイノリティの文化に興味があるかも、と思って専攻しました。わりと自由に授業が選べる学部だったので、「マイノリティ」という文脈で、福祉分野や、障害がある方の芸術活動についてなどの授業を受けて、福祉分野にも興味を持つようになりました。

―学生時代、福祉分野のフィールドに足を運んだことはありましたか?

中高生の学習支援に携わっていました。インターンで、1年くらい。

―行ってみて、どうでしたか?

中学時代、地元がやんちゃな地域だったんです。福祉に興味を持ったきっかけも、小中学生のときにいろんな家庭事情の子がいるな、と思っていたのが、高校や大学までいったらそうじゃない子が近くにいることが多くなって、「あの子たちはどうしているんだろう」という思いがなんとなくあったのも影響しています。そのときは、学習支援だったら今の自分にもできるかも、と思ってやっていました。

―その時点で福祉業界に進もうと思っていたんですか?

福祉というよりは居場所づくりに興味があって、就活では、教育系とか福祉系とかいろいろ見ました。教育系だと塾講師があったんですが、受験で点取ることを応援したいわけじゃないぞ、って思って。それで、「居場所 ごちゃまぜ」というキーワードでネットで調べたら、今働いている法人が出てきた感じです。こんなところもあるんだ、って。

―居場所に関わりたいと思ったときに、活動していた中高生対象ではなく「ごちゃまぜ」というキーワードになったのはなぜですか?

それは、サークル活動の影響が大きいですね。子どもと田んぼをしよう、というサークルにいたんですが、幼稚園前の子から、小中学生が集まって、その子どもたちを連れてくるお父さんお母さんもいて、そして教えてくれる地域のおじいちゃんがいて、と世代が混ざって。

どうしても中高生だけの居場所は、中学生時代の私もそうだったんですが、ちょっとあの子とはタイプが違うので……と距離が出来ちゃうんですよね。

―私もそうでした。たしかに、一番そういうのが多い年頃ですね。

そういう気持ちもわかるなぁと思いながら、でも幼稚園生からおじいちゃんまで来ちゃうと、もうタイプとか関係なくみんなでお話しして、みんなで仲良くやってる感じがあったので、いろんな世代の人がいるっていいよね、と思って。

―実体験としてごちゃまぜのよさを感じたんですね。そこから今の介護職に至る、ということを思うと、いろんな偶然が重なった結果だと感じます。

そうですね。学生の頃は、介護の仕事をするとはまったく思ってなかったです。総合職や、児童にかかわることを考えていましたが、採用担当の方に「(高齢者の介護職を)とりあえず、やってみるのはどうでしょう」って言われて。とりあえずやってみるかぁ、って。

―「とりあえず」にも勇気が言ったかと思うんですが、やってみようと思えたのには何か理由がありましたか?

自分の祖父が長いこと介護を受けていたんですが、その本人や家族の様子を見ていて、正直介護にはネガティブなイメージがあって。でも、採用期間に今の法人の方に、「子どもとかかわることに前向きになれるのに、高齢者とかかわるときは違うの?何が違うと思う?」と聞かれて、確かにな、と思って。自分の中で説明出来なかったし、自分の祖父についての、その1件のイメージしか知らないなと思って。

―実際に介護業界に入って、どう感じました?それまで持っていたイメージのギャップなどは感じましたか?

介護って、こんなにいろんなことを考えながらやってるんだなと思いました。介護の理論がどんなことかもイメージ出来ていなかったので、それが分かったときになるほどな、と思いました。祖父以外にも身内に高齢者が多かったので、施設に入ってもギャップみたいなものはなかったんですが、最初の半年は自分に向いてないんじゃないかと思いながらやってました。

―どんなところでそう感じましたか?

手際が悪いなぁって……移乗とか全然できない。身体を動かすことをしてなかったので、スキル面で全然向いてないかもって思いながらやっていました。

―気持ちが変わったきっかけはありましたか?

入職して半年くらい経ってから、居室担当の介護計画を任されることになって、この人の生活をこれからどうしていきましょう、と考えることになって、「これは楽しくやっていけそうだ」と思えるようになりました。それまでは、どうやって身体を動かそう、とかどうやって時間内に終わらせよう、とか思ってやっていました。先輩早い~みたいな。笑

―まずは「時間内に終わらせないと……」って思いますよね。

そうですね、そんな感じで「考える」というのが最初全然できなくて、身体を頑張って動かします、ということに一生懸命でした。介護計画を任されるようになって、「こういうところだったら自分も貢献できるかもしれない」という思いが出てきて。だんだん慣れていくにつれて、考える幅が広がっていったりとか、この人の生活はこうしたらもうちょっとよくなるかも、ということが考えながら出来るようになってきたので、そうなってきてからはちょっとずつ面白くなってきました。

―介護過程を展開できることになってから、介護の楽しさがわかってきたんですね。

当時のリーダーが「この人はこういう理由でこういうケアをしててね」ときちんと教えてくれる方だったのも大きいです。印象的だったのが、うがいするときに、ブクブクしたあと固まって水を口に溜めたままになっちゃう方がいて。でも、「普通、人間は前を向いたままだと口から水を出そうなんて思わないんだよ。この人も、前のめりの姿勢になるように介助して、洗面台が目に入れば口から水を出すことができるんだよ」と言われて、なるほどなぁ、と思って。私たちのやり方一つで生活が変わってしまうのが大きいことだな、「歯磨き粉を毎回飲んじゃう生活」ってしんどいよな、と思って。

―たしかに。生活のささやかな一場面ではあるけれど、それこそがすごく大事ですよね。それを介護の面白さ、と感じられるのが小野寺さんの強みだと思います。

―看取りに関して、介護の仕事をするまでに考える機会ってありましたか?

小中学生のとき、親戚が高齢だったので、結構お葬式に行く機会があって。人が亡くなることに接する機会は多かったと思っています。私は亡くなった本人のことは詳しく知らなくて、毎回儀式に参加する人、みたいな感じだったのですが、それでも周囲の反応などを見て、悲しいな、と思っていました。

―入職時の研修で、看取りケアのことを学んだときはどう感じましたか?

やる前は怖かったのもあって、自分が知っている人がどんどんいなくなっていくことって、めちゃめちゃしんどいんじゃないかと思っていました。介護職を「とりあえずやってみませんか?」と言われたとき、私はメンタルが持つか?と思って、迷いの1つではありました。

―現場で接するようになってからはどうですか?

前までは、人が亡くなること自体にびっくりしていたと思います。「えー!死んじゃったんだ!」みたいに。亡くなること自体が悲しい、と思っていて。今はあまり、人が死んじゃうことに対して悲しいとは思ってなくて、その人がいなくなって、もう会えないことに対しては悲しいけど、死んじゃうことに対しては「そうですよね」と思うようになりました。ゴールがあることが前提になった。

―それまでは突発的で、非日常、儀式的だった「死」が、生活の中にあって当たり前という感覚になったということ?

そうですね。現場の中ではそうかな、と思います。

―仕事の場面と、私生活では感覚が変わりますか?

高齢であれば、そうだよね、って思います。若い方だとまた変わってきますね。亡くなり方にもよるなっていうのはあります。

―同じ年齢であっても、それによっては気持ちの消化の仕方が違うかもしれませんね。これまでに、印象的だった看取りはありますか?

入職して1年目から居室担当だった方が、100歳を越えた方で。職員のことを、「神様〜」って呼んでいて、「なんとかしていただけますか?神様?」って言われていて。職員みんな、だんだん神様慣れしちゃって、「はい、神です」と言うこともありました。

―そんな年の取り方をしたいです。笑

とても素敵な方でした。その方が、最期、うがいの水がつまって亡くなってしまったんです。嚥下状態もちょっとずつ落ちてきてはいたんですが、まさか、という感じで。

突発的だったので、警察の方が介入することになったんですが、最初のご家族の聴取のときに、「すごく丁寧にしていただいていたので、そういうのは大丈夫です」と言ってくださったらしくて。そういうふうにご家族がおっしゃっているので、これ以上はもう調べません、これからも頑張ってください、と警察の方が言ってくれたみたいで。

―日頃の信頼関係が築けていたんですね。

そうおっしゃっていただいたことがありがたかったです。その時はそのユニットの勤務ではなくて、人づてにその話を聞いたんですが。

―お見送りは出来たんですか?

一度施設に戻ってきたようなんですが、私は亡くなってからは会えなくて。

―最期に会えなかったことに対してはどう感じましたか?

そんなにそこに未練はなくて。この方以外でも、介護職3年目となると時々そういった突発的なことが起きることもありますが、それまでのところでちゃんと接していれば、最期の場面に立ち会いが出来なくても、不完全燃焼として残ることはないです。

―当初感じていた看取りに対しての気持ちは、どう変化していきましたか?

最初の1、2回はやはりびっくりしていましたが、だんだん経験を積んで、ご高齢で元々ご病気もあって、こうなってきたらそろそろ、という前触れが自分でわかってきて、以前は突発的と感じていたことがちょっと予測できる、というふうに変わってきて。

―変化に気づいて、自分の中でも準備ができるようになってきた?

そうですね。看取り期と診断されてからは、ターミナルケア(看取りケア)に切り替わるので、いいラスト向けて、その過程にかかわれるのはありがたいことだと思います。

―看取りケア、と言われてどんなことをイメージしますか?

介護職としては気合が入るなと思っています。いい最期に向けて、なるべくきれいな状態で、苦痛なく送り出してあげたいと思います。こまめにかかわりたいと思う。

1年目のときは、なるべくご本人の希望を叶えるということに目が向いていました。好きな音楽かけたり、好きなものを食べてもらったり。だんだん、苦痛なく、穏やかに、まずはそっちが大事だな、と思うようになりました。身体がめちゃめちゃ痛いとか、口の中がすごく汚れているのにいい音楽が流れている、っていうのは違うなって。

一方で、そっちばかりに目が向きすぎてしまっている気もするので、「その人らしい最期」も考えたいなと思っています。

―バランスのとり方ですね。ご家族の意向などで、ジレンマを感じることはありますか?

いろいろと思うことはありますが、私たちよりご家族のほうが受け入れるのが難しいだろうし、ご家族にとって一生の後悔として残るようなら、医療的な処置を望むという判断になることもあるのかなと思って、そこについては前より寛容になっています。

ただ、その方針を話し合う場に、自分たちがなかなか参加できないというのもあります。かかりつけ医、看護師、相談員と話した内容を事後で聴きがちなので、その過程になかなか寄り添えない。前までは、面会で部屋まで来てもらえていたので、過程が自分たちの口からも伝えられていたんですが、今は感染症対策で難しくて。

それと今はどちらかというと、入居者の方に気軽に直接会ってもらえないのが、もどかしいです。Zoom面会もしていますが、なかなか難しい方もいて。音が聞こえにくかったり、画面に向かって、なんでそこにいるんだ?出て来いよ!こっち来いよ!って話しかけてる方もいたりして。

―たしかに、この状況を理解するのが難しい方もいますね。

要介護度が重い方だと、面会に来たご家族が食事介助だったり、身体さすったり、そういったことをするのがコミュニケーションだったのにそれができなくなってしまって、話すのが難しい方だとZoomで話しかけても返事がないし、頻繁に来ていたご家族でももう面会に行かないことにする、という方もいて。

―ターミナルに限らず、ささいな変化を直接知ることが出来ていたご家族へも、介護職が中継していかなければならないですね。ご家族とのかかわりにはどんな変化がありますか?

会えない、面識のない家族が増えてきました。この対応になってから約1年経ちますが、新しく入居された方も多くて、電話はしたことあるけど、顔は見たことがないという方がどんどん増えてきています。今、面会は特養棟と離れたところでしているので、事務所の職員が送り迎えをしてくれていて、ご家族と介護職員との接触がまったくなくて。

―コロナ禍での看取りって、これまでとの違いを感じますか?

看取りに限らず、生活の質がとても下がってしまったなと感じます。

この間ラジオのCMで、「高齢者へは同居の家族でも話しかけるのは最小限にしましょう!」と言っていて、本当にいいのか、それ?!と思って。

私たちは自分たちでリスクを判断できるけど、施設の中の方は施設の方針に左右されてしまう。もちろん、感染したら命にかかわる、と思うと理解できるけど、でも、と考えてしまう。

―リスクを考えすぎると人間らしい生活から離れてしまい、難しいですね。

―はじめてエンゼルケアしたときはどう感じましたか?

病院で亡くなった方が、施設でのお別れ会を希望されて施設に戻ってきたんですが、こういうこともあるんだな、と思いました。病院に行っても、また戻ってきたいと思ってもらえたことがありがたいことだな、と。

―怖くなかったですか?

なかなかかかわらせていただく機会がないので、この仕事をしていてもエンゼルケアの機会は貴重だなと思います。先日お看取りした方に亡くなった直後にご挨拶をして、まだ温かくて「あぁ、亡くなっていっている途中だ」と感じました。

―死亡診断されてすなわち「死」ではなくて、死の過程であると感じた?

そうですね、ある意味ちょっと怖かったです。亡くなっているけど、まだ温かいんだ、って不思議な感覚でした。

―死に対して、慣れを感じますか?

「人が亡くなること」への衝撃はなくなってきました。その分、その間の生活にはめちゃめちゃかかわっているので、悲しさは強いかもしれません。普通に生活していて、人が亡くなるまでの生活にかかわっていることって、少ないと思うんですね。例えば病院にいた、とか、それこそ施設に入居している、とか、突然の訃報に接するケースとか。亡くなるまでの過程にすごくかかわっているので、突然、その方のお茶碗が出てきたりすると、もういない、と実感して悲しくなりますね。

―喪失感はどう処理していますか?

処理するという感覚はないですね。前は人が亡くなることにまずショック、があったんですが、そのショックがなくて。亡くなったらそりゃあ悲しいよね、って受容しています。

―なるほど。一方で、家族や同じ職場の中にも受け入れるのが難しい方がいるかもしれないとき、どんな対応をしますか?

新卒の子とか、悲しくなっちゃったりはあると思うんです。そういうときは、存分に悲しんでもらえたら。それで勤務がおぼつかないときは全然自分が変わるし、そこはあんまり我慢しないほうがいいなと思っています。

―とても頼りになる先輩ですね!最近ACPや人生会議といった言葉を聞きますが、自分の家族と話すことはありますか?

母は自分からそういうことを話す人で、TVを見ながら「自分が死んだらこの曲かけてほしい」っていう人で。「承知しました!」って。

―昔からそんな感じ?

母は、若い時に自身の母を亡くしているので、もしかしたらそういう思いがあるのかもしれません。逆に父は、今から話すことではなくない?というタイプです。

―お母さんの発言を聞いたお父さんはどんな反応をするんですか?

あまり父がいる場では話さないかもしれません。でももしそういう話の流れになったら、「まだそんな話しないでよ、悲しいから」ってなりますかね。

こういう仕事をするようになって、事例を話したりしたときに父は「自分は胃ろうはやられたくないな」と話したりはしていたので、そうなんだーって脳内メモに残したりはしています。

―目の前の人、自分の事を具体的には考えづらいけど、他の人の話を聞いた上で「自分だったら」と考えやすいのかもしれないですね。

そうかもしれませんね。絶対に話した方がいい、と押し付ける話でもないですし、自分がある程度の年齢になったら、話しておいてよかった、と思うことはあるかもしれませんね。

ーよろしければ、今日の感想を教えてください。

介護やっててどうですか、と聞かれたことはあったけれど、看取りにフォーカスして話したことはなかったのでよい機会でした。ありがとうございました。

―ありがとうございました。今後の小野寺さんの発信も楽しみにしています!

編集後記/落ち着いた語り口の中に、軽やかさのある小野寺さん。1番好きな果物はみかんだけど、最期に食べたいのは桃なんだな……と肝心なところを聞きそびれてしまったことに気づきました。幸せの味だからでしょうか。幸せの味と聞いて、ネクターを思い出して久しぶりに飲みたくなりました。介護職をはじめる前に感じていた死に対する怖さが、経験を重ねることで怖いものでなく「ある前提のもの」としてとらえるようになった、という変化が聞けて興味深かったです。リスクを考えすぎると人間らしい生活がままならなくなる、というジレンマについては、コロナ禍においても看取り期においても共通しているな、と感じました。

小野寺さんのnoteもぜひ!

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