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第1回 ベトナム戦争・前編(1965〜73)


 現在, 世界で最も大きな影響力のある国アメリカ。アメリカの歴史学者イマニュエル・ウォーラーステインが提唱した世界システム論によると, 近代の覇権国家17世紀のオランダ19世紀のイギリス20世紀のアメリカと推移する。2つの世界大戦で覇権を握ったアメリカは, ベトナム戦争を機に衰退を始めたとされる。特にトランプ政権の誕生以来, アメリカの国際的影響力の低下は著しい。中国が台頭し, EUが求心力を失い, ロシアが暴走する。この不安定な現代の国際政治を理解する上で, ベトナム戦争を学ぶ意義は大きい。

 人はなぜ歴史を学ぶのか。それは過ちから教訓を得て, より良く生きるため。ベトナム戦争はアメリカ外交史上最大の汚点とされる。大きな過ちからは, 大きな教訓が得られるはずだ。この戦争の敗北は, その後のアメリカ社会に大きな影を落とした。アメリカ外交の本質を理解するためにも, 今後の日本のあり方を考える上でも, ベトナム戦争から多くのことが学べるはずだ。

目次
⑴ケネディを殺したのは誰か
⑵アメリカの戦争の始め方
⑶フランスによる植民地支配
⑷インドシナ戦争の展開
【大学入試問題】
おわりに  ケネディの2つの演説
【関連年表 ベトナム近現代史】

<第1回 ベトナム戦争・前編のキーワード>
①ベトナム独立同盟会(ベトミン) ②ディエンビエンフーの戦い ③ジュネーヴ休戦協定 ④南ベトナム解放民族戦線 ⑤部分的核実験禁止条約 ⑥ケネディ暗殺 ⑦トンキン湾事件 


⑴ケネディを殺したのは誰か

 1963年11月22日ケネディ大統領がアメリカ南部のテキサス州ダラスで暗殺された。当初, 犯人だとされたオズワルドも逮捕直後に殺され, ケネディ暗殺の真相は闇に葬られた。副大統領から大統領に昇格したジョンソンは, ベトナムへの介入を本格化させ, アメリカの軍事費は一気に膨らんでいく。  

 ケネディは1962年10月, 米ソが全面核戦争の一歩手前まで対立が激化したキューバ危機を乗り越え, 1963年8月, 史上初の核軍縮条約である部分的核実験禁止条約を締結した。1963年6月10日, ケネディはアメリカン大学で「平和の戦略」演説を行い, アメリカの武力による平和「パクス・アメリカーナ」を否定して軍縮を呼びかけた。この演説を行った半年後にケネディは暗殺され, まもなくアメリカはベトナム戦争の泥沼に突入する。

【キーワード①  ケネディ(1917〜63)】
アイルランド系移民の子孫。カトリック教徒で初めてのアメリカ大統領。史上最年少の43歳で大統領に当選。1960年の大統領選では初のテレビ討論が行われ, 巧みな弁論と魅力的な人柄を印象づけ, 共和党候補のニクソンとの接戦を制した。ニューフロンティア政策を掲げ, 黒人差別撤廃や貧困層の救済に取り組んだ。1962年10月キューバ危機でソ連との武力衝突を回避し, 翌年8月には部分的核実験禁止条約を締結。1963年8月キング牧師「ワシントン大行進」で黒人差別撤廃を訴えると, ケネディも理解を示した。公民権法が制定されたのはケネディ暗殺後の1964年ジョンソン政権のとき。
【キーワード②  キューバ危機(1962年)】
1962年10月, ソ連のフルシチョフ首相がキューバに核ミサイル基地を建設した。キューバへのミサイル搬入を阻止するため, アメリカのケネディ大統領は海上封鎖を実施し, 米ソ両国は核戦争の危機となった(10月16日から28日までの13日間)。アメリカがキューバへの不侵攻を約束し, ソ連もミサイルを撤去して危機は回避された。このときアメリカもトルコからミサイルを撤去した。
【キーワード③  部分的核実験禁止条約(1963年)】
核実験を地下に限定した。正式名は大気圏内外水中核実験禁止条約。1963年アメリカ・イギリス・ソ連の3国で調印。米ソ主導に反発したフランス中国は不参加。キューバ危機による核戦争への危機感から締結された。背景には「死の灰」による健康被害, 環境破壊への国際的な批判もある。1954年, アメリカが南太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で, マーシャル諸島の住民と日本の漁船第五福竜丸の乗組員が「死の灰」を浴びて犠牲者が出た。第五福竜丸事件を契機に原水爆禁止運動は世界的に広がった。


⑵アメリカの戦争の始め方

 アメリカのジョンソン政権は, 1964年8月2日と4日にベトナム沖のトンキン湾でアメリカ海軍の駆逐艦が北ベトナム海軍から魚雷攻撃を受けたと発表した。このトンキン湾事件を口実に, 1965年からアメリカは北ベトナム爆撃(北爆)を恒常化させ, 本格的にベトナム戦争が始まった。しかし, トンキン湾事件は1971年, ニューヨーク・タイムズがアメリカ政府の機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」をスクープし, 北ベトナム軍の仕業であるとされてきたアメリカへのテロ攻撃が, じつはアメリカ政府による自作自演であることが暴露された。つまりアメリカは, ベトナムと戦争をするために自作自演のテロをでっち上げ, それを口実に戦争を開始したのだ。

 アメリカ=スペイン戦争(1898年)の口実となったメーン号爆沈事件第一次世界大戦でアメリカ参戦への世論形成に大きな役割を果たしたルシタニア号事件(1915年5月)アフガン戦争・イラク戦争へとアメリカが対テロ戦争へと突入するきっかけとなった同時多発テロ事件(2001年9月11日)。アメリカが戦争を開始するとき, いつも不可解な事件が勃発する。これから私たちは, またトンキン湾事件を連想させるようなテロ事件を目の当たりにすることになるのだろうか。

 ケネディ暗殺事件の真相に迫った問題作オリバー・ストーン監督の『JFK』は「軍産複合体が我々の自由と民主主義を脅かしてはならない」というアイゼンハワー大統領の退任演説から始まる。冒頭部分のケネディの「平和の戦略」演説も感動的だ。映画の後半では法廷のシーンで『ハムレット』が引用される。「前の王は殺された。我々アメリカ国民はハムレットの心境です」とシェークスピアの悲劇と重ね合わせる語りが胸を打つ。ベトナム戦争を学んでからこの映画を観ると, ケネディ暗殺からアメリカが転落していく悲劇により深く心を揺さぶられるはず。

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第1回 ベトナム戦争・前編(1965〜73)

諸岡浩太郎

200円

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ヴァンナチュール(自然派ワイン)と美味しい食べものが好き。慶應義塾大学法学部卒。福島原発事故と沖縄基地問題の構造的な繋がりに関心があります。noteで世界史の講義を始めました。現代史や文化史、最近の国際情勢、海外の郷土料理に興味がある方はぜひ。

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