最高の教師7話を見て そして南条あや

 ドラマ「最高の教師」7話を見て号泣し、初めてnoteを書いてみようと思った。

 私は今も教える仕事をしているが、大昔、学校教師をしていた。
 見ながら色々なことを思い出し、考えた。

 現役時代、自分の受け持ちの生徒ではなかったが、こんなことがあった。ある生徒が他の生徒から寄り道をしていると、教師に告げ口があったのだ。男性の担任教師は事実を確かめようと、進路指導室に女生徒を呼び出して事情を聞き出した。後日、呼び出された生徒が、先生に狭い部屋で問い詰められて圧迫されたと、学校に訴え裁判になるとのことだった。
 今考えれば、男性教師が女生徒と狭い部屋で2人きりというのは、当然問題であろう。だが25年以上前のことで、当時は男性教師が身だしなみ検査で、女生徒の耳たぶを引っ張ってピアス穴が空いていないかチェックするのが許されていたような時代だった。
 私は、当時もやはりその先生の落ち度はあると思った。教師が思う以上に、女子高生からみた男性教師は、どんなに優しい先生でも圧迫感はある。なので女生徒と2人で問い詰める形式をとったのは、良くなかったと思う。

 しかしその先生が生徒思いの先生であることを知っていた私は、まだ20代の若造だったくせに、思わず職員会議で手を挙げてこう言ってしまった。
 「校長!その先生は生徒を尋問しようと思って、そこに呼び出したのではないはずです。生徒に愛情があり、寄り道なんかしてないよね?と確かめたかっただけなはずです。裁判をすると言ってる親御さんに校長はそうは言ってくれないのですか?そうであれば、私たちが日々愛情を持って生徒に接していることも、いつ訴えられるかわからないと思います!」と。
 あの時の校長の、面食らったような半笑いの顔を忘れることはできない。そして同じように賛同してくれる先生がいると思ったのに、案外しーんとしていた雰囲気も今でも思い出せる。(やべ、言わないと気が済まない性格が発揮されてしまった)という自分と、(他の先生も同じことを思ってるでしょ!!)という血気溢れる思いが入り混じり、何とも言えない気分になった。
 職員会議が終わり職員室に戻ってきたら、年配の先生たちが次々に私のところに来て「よく言ってくれた」「立派だった」「先生(私)の言う通りだ」と口々に言ってくれた。嬉しくはあったが、じゃああの場で援護してくれよ、と心の中では思っていた。

 ドラマの話に戻ると、記者会見の様子で、学校の上の立場人が真摯に生徒に向き合う姿勢を見て、グッときた。なかなか教師と言えど、人間的にあのように真摯に生徒に向き合う人は少ない。
 そしてあの時から自分も年を取り、自分が上の立場だったらどうだろうと考えた。
 20代の頃と生徒や保護者、自分を取り巻く人たちに真っ直ぐに向き合わなくてはいけないという思いは変わらないけれど、世間に向けて正論を言うことは、若い時にはわからなかったより一層の勇気がいるのだと思った。そしてそれが大人の責務ということなのだろう。若い時の熱量だけで語っていた時とはまた違う捉え方で、ドラマのマスコミ対応をするシーンを見ていた。

 そしてそんなことを語りたくなり、初めてnoteを書き始めてみた。書くことで、心が整理されて、良いかもしれない。うん。

 それからもう一つ。ドラマでは生徒が自ら命を絶ってしまい、ある先生が「自分も何かできたんじゃないかと考えてしまうんだ」と言うようなシーンがあった。
 私は現役時代、南条あやの死に直面し、同じことを思った。ほかの先生に「自分ができたことがあるのではないかと考えてしまって、辛い」と相談したことがあったのだ。
 その時同僚の先生に言われたのは「いちいちそんなこと考えていたら、何もできないよ。気にしない方がいいよ。」と。
 その時私の中に生まれたモヤモヤは、今もまだ自分の中にくすぶっている。
 そのことについてはまた次回書いてみようと思う。
 


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