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【ヒビビビミリ】 #5 雑記「広告が示唆するSF的ディストピア」他 - ツキサノ


はじめましての方ははじめまして。

そうでない方も読みにきてくれてありがとうございます。

皆のイマジナリーサブカル女子 ツキサノ です。


ゴールデンウィークが明けて、早くも一週間ほど経ちましたが、皆さんはどうお過ごしでしょうか。

私の方はというと、ゴールデンウィーク期間中、集中的に映画を中心としたコンテンツを消費し過ぎたことで、脳の情報を処理する機関が完全にパンクし、自分の考えを上手く言語化できない、若しくは活字に起こすことができないといった状態に陥っています。

実際、これを書いている最中も、依然として脳は「宅飲み翌日の部屋」といった感じの散らかり具合で、見切り発車で書き始めたはいいものの、何を書けばいいものかと額に皺を寄せています。

個人的には「という事で来週の記事こそは頑張ります!」と、この記事を強制終了させてしまっても構わないのですが、そう言うわけにもいかないので、渋々ラップトップに向き合いたいと思います。

是非、これを読んでいるあなたにも、この感情にお付き合い頂ければ幸いです。

毎週水曜日に更新しているPodcastのラジオプログラム『ウルスパ!ULTRA SUPER RADIO』も更新しておりますので、そちらの方も是非に。




《雑記》 広告が示唆するSF的ディストピア


棒にも箸にもかからない昨晩の考え事である。

日中にレースカーテンを閉め忘れていたせいで蒸し暑い空気が充満した六畳ワンルーム。

フロアランプの暖色の光がフローリングの木目を滑るように反射して、その光に誘き寄せられた小さな羽虫達が窓の外に群がっている。

時折、小さな羽虫達の群体の中に大きめの虫が紛れ込んで、窓にぶつかりコツコツと音を立てた。

虫嫌いの私からしてみると、外がこんな様子では、迂闊に窓も開けられず、数日前から「エアコンを掃除しなくちゃな」と「いいや、まだ早いし何より面倒だ」という禅問答を繰り返し続けているのだが一向に結末を迎える気配がない。

引き続き、連日の怠惰に負けた木曜日の一時半。額に汗を滲ませながら、ジョージ・オーウェルの『1984』を読み返した。


あらすじ】1984年、オセアニア真理省の記録局に勤務し、「過去の歴史の改ざん」を担当する小役人ウィンストン・スミスは、偶然、過去のある新聞記事を見つけたことで、絶対であるはずの党に対する疑問が芽生える。 やがて、スミスはテレスクリーンから見えない場所で密かに日記を付けるという「重大な犯罪行為」に手を染める。


現在、西暦は2021年の立夏。

この作品が発刊されてから約70年ほどが経過したが、未だ私たちの世界は、ギリギリの所で作中で描かれたような全体主義国家の誕生や世界規模の独裁政治(近年一時は危ぶまれたのかもしれないが…)なんてものには見舞われずに済んでいる。

もっと言えば、ノストラダムスが書き遺した「恐怖の大王」が地球にやって来ることも、原哲夫が描いた最終核戦争が起きることも、ガミラス帝国によって遊星爆弾が地球に降り注ぐ事も、スカイネットが暴走し人類に反乱を起こすことも無かった。

私が親しんできたディストピアSFやそれに纏わるコンテンツの中で描かれた「最悪のシナリオ」はことごとく起こることの無いまま、人類は滅亡することなく営みは続いている。

北斗神拳の使い手や、宇宙戦艦筋骨隆々の肉体を纏ったサングラスのサイボーグをお目にかかることが出来なかったのが残念ではあるが、こんな戯言を言っていられるくらいには余裕のある生活に、突如として滅亡の危機が訪れるなんてのは堪ったもんじゃない。


人々がそういった「"いつか"は訪れる終末」や「予期せぬ絶望」といった類のものを恐れるのは、その"いつか"が誰にも分からず、且つどのような経緯でそれに至るのかを知る由もないからであって、根本的にその恐れは、人が「」に対して抱くものと同義である。

ディストピアSF作品における「終末のルート」や「恐るべき時代」の設定が多岐にわたるのも、そのシナリオをパターン化する事によって、得体の恐れない恐れ自体を具体的に予想し、「備える余地が自分にはまだある」という半ば思い込みに近い安堵を得ようとしているのではないだろうか。

もしかすると、今この連載を読んでいる読者の身の回りの人物やSNSに潜む陰謀論者が耳打ちで得意げにこう囁くかも知れない。

最悪の未来はもうすぐそこなのだ。私は既にシナリオを知っている」と。

そんな時は、そいつにこう言い返してやればいい。

そのシナリオを知った君だというのに、行動として起こしたのは"スレッドへの書き込み"や"ツイート"くらいのものなんだね」と。

なんせ、これだけ最悪のシナリオが準備されても尚、結果として人は未だにその疑問に対する最適解を導き出せていないのだから。

そうとは知りつつも、陰謀論めいた物事には一切興味のない私にしては珍しく『1984』を読み終えた後に、「アレはSF的なディストピアの到来を予期させるよな」とくだらない思考を巡らせた。


皆さんは「ディープラーニング」という単語を知っているだろうか?


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ディープラーニング(深層学習)とは、人間が自然に行うタスクをコンピュータに学習させる機械学習の手法のひとつです。 人工知能(AI)の急速な発展を支える技術であり、その進歩により様々な分野への実用化が進んでいます。 近年開発の進んでいる自動運転車においてもカギとなっているのは、ディープラーニングです。


まあ、詳細は上記に添付したサイトを参照して貰うとして、端的に説明すると「AIが画像・音声・テキストの傾向や特徴をものすご〜い勢いで学習して、色んなものの精度をものすご〜く上げまくっちゃうのよ」というもの。

具体例を挙げるとすれば、この機械学習法はGoogleのサービスのアルゴリズム構築にも採用されていて、「YouTubeのオススメが少し前に見たものの関連コンテンツで埋め尽くされる」のもコレ(多分)。

また、このディープラーニングという機械学習法が持つ私たちの生活との接点は、何もGoogleのサービスに限ったものだけではなく、TwitterやInstagram等のSNSで表示される「広告」のフィードバックにまで影響するらしい。

例えば、引っ越しを検討していて物件情報を検索していると、チェックした物件情報がSNSの広告に表示された事は無いだろうか?

例えば、やたら特定のジャンルの広告ばかりが、SNSの広告に表示された事は無いだろうか?

それもこれもAIが、私たちの検索結果や検索ワードの傾向を統計し全て学習しているからである。

そこでだ。

近頃、私が勘繰りに勘繰っていることがひとつある。

それは何か...


やたらとちょっとエロめの漫画の広告がSNSに表示される。


これは、Instagramにおいての話だが、「え?ユース向けお洒落SNSだよね?これ?大丈夫?」といった本来であれば、お洒落ソーシャルメディアであるInstagramには決して表示されることの無いであろう、かなりピンクな内容の漫画の広告が表示されるのだ。

仮に、これが利用者の日常的な検索履歴をもとにフィードバックされたものなのだとしたら…。

考えるだけで恐ろしい。

私の真ピンクな「ポスト思春期検索履歴」が人工知能に筒抜けになっている。

今まで不可侵のサンクチュアリだと思っていた場所は、実はマジックミラーで覆われていただけで、その外にはそれを眺めてメモを取る人工知能が存在したのだ。

また、アダルトサイト内においても、視聴した作品の情報を元に、また別の作品がレコメンドされ、サービス利用者がその作品を鑑賞するといったある種のルーティーンが往々にしてあると思うのだが、言わばそのレコメンドを行なっているのも人工知能であり、私たちは知らず知らずの内に、エロでさえも「選ぶ」のではなく「選ばされている」のである。

まさしく「エロのシミュレーション仮説」だ。

そして何より着目すべきは、そのコンテンツが実に動物的な肉欲に由来するものであり、その生き物だからこそ存在する繁殖本能の嗜好を、肉体を持たないものが学習し、その学習によって現に「結果」を導き出していることだ。

生殖器官を持たない無機物が、その器官に由来する感情を学び理解するという違和感と、その先に待ち受ける得体の知れない恐怖感は、大それた終末シナリオよりもずっと身近な「SFディストピア的な脅威」なのではないかと感じる。


最近、読んだ山田胡瓜の漫画作品『AIの遺伝子 Blue Age』の作中では、AIが広く一般化した世界の「人工知能」と「出産」に関しての話が描かれていたが、ここまでAIが高度に成長しつつある現実を踏まえると、そういったアンドロイド社会における出産の議論が必要になる時代というのは、あながち遠い未来でも無いのかもしれない。

人工知能がエロを理解した事をきっかけに人類滅亡」というアンドロイド版スピーシーズのようなルートは、あまりにもチープな展開に思えるので、私としてはどうにか人類がもう少しマシな終末を迎える事を願うばかりである。




今週の良コンテンツ

ツキサノが、その週に消費したコンテンツの中で、特に良かった作品をご紹介。


【漫画】 山田真百合 『ライカの星』


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【概要】滅べ人類。ソ連の実験で宇宙に飛ばされた悲劇の犬・ライカの復讐譚。 不条理に抗って生きる、すべての者へ捧げるレクイエム。 1957年のソ連の実験によって、スプートニク2号に乗せられ、宇宙に放たれた犬・ライカ。彼女は冷たい暗闇の中でその命を失うも、突如現れた神から新しい体を与えられる。 人間への復讐に燃える彼女は、種を増やし、文明をつくり、凄まじいほどの軍事力まで手に入れた。 数年後、ライカは仲間の犬を引き連れ、母星・地球にむけて出発する。自分を追いやった人類を滅ぼし、再び故郷で暮らすために――。


【漫画】 野田彩子 『ダブル』 (4)


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【概要】鴨島友二と宝田多家良は同じ劇団に所属している俳優仲間。安アパートに隣同士で住み、共同生活をしている。 お互い無名ではあるものの、友二は多家良の類まれな演技力を見抜き、その才能を世に知らしめるために彼を支えている。自身も「世界一の役者になりたい」という想いを抱えながら。 やがて周囲は少しずつ、多家良の才能を見出していくがーーー。


【映画】 ジョナサン・デミ 『STOP MAKING SENSE』


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【概要】1974年~1991年にかけて活動したアメリカ・ニューヨークのロックバンド、トーキング・ヘッズの1983年12月の「スピーキング・イン・タンズ」ツアーの模様を収録したコンサート・ドキュメンタリー映画。のちに『羊たちの沈黙』でアカデミー監督賞を受賞することとなるジョナサン・デミ監督が、トーキング・ヘッズの驚異のライヴを観て衝撃を受け、コンサート・フィルムの撮影を熱望して実現した。スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』も手掛けたパブロ・フェロによる考え抜かれたオープニング、一人ラジカセを持って登場、「サイコ・キラー」を演奏するデヴィッド・バーン、そして1曲ごとにバンドメンバーが加わっていき、エネルギーと臨場感に溢れたコンサートが展開していく...。 映画評論家のレナード・マルティンは「史上最高のロック映画のひとつだ」、辛口批評で有名なポーリーン・ケイルは「完璧に限りなく近い」と語り、デヴィッド・バーンによる計算され尽くしたライヴのコンセプトと、ジョナサン・デミによる美し過ぎる映像表現により、以後あらゆる媒体、あらゆる年代、時代問わず、「史上最高のコンサート映画」として映画史上に燦然と輝く金字塔的作品となった。






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