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フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ「靴」とマルセル・デュシャン「泉」、そしてわたくし「快便」

怯えて震える身体を焼き尽くす感覚に久しぶりに出会った。スーパーからの帰り。自宅まで約50mだ。胃腸をすするような、さらにずんずんとLIVE音が身体に叩き響かせるような不穏さが徐々に大きくなっていく。それは自宅のエレベーター前でさらに進化を重ねる。2階、3階、そして最上階と階を刻む毎に、一歩ずつ恐怖がわたしに押し寄せてくる。玄関を開け安心したのも束の間だ。足元は頑固な紐で結び固められた登山靴だ。これまでにないような雑な扱いを靴に強い、それを放り出す。哀れな「靴」だ。恐怖が絶頂に達する。と同時に大きく深い安堵を飲み込む。長く短い闘いとその廉恥な記憶と共に全てを水に流し、何事もなかったかのようにくつろぎ始めるのだ。快便。それは「自然とすっきり、ツルンとうんちをする」ことだ。一昔前の私は、この恐怖に負け、まぁつまり「トイレ」前で漏らしていたものだが。大人になったものだ。今度芸術の話をする機会があれば、フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ「靴」とマルセル・デュシャン「泉」、そしてわたくし「快便」と豪華絢爛な顔ぶれで送りたいと思う。お目汚し、大変失礼しました。


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