見出し画像

秘密回路

「おはよう」
 耳がいつもの声を認識する。私の目がいつもの顔を認識する。カメラが起動して0.01秒、僅かなノイズもなく正常に捉えます。
「おはようございます、博士」
 下を見ます。昨日まであった人工皮膚がありません。金属の骨格と人工筋肉が剥き出しになっています。つまり今はまだメンテナンス中ということです。腕も肩から先が取り外され、作業台の上に置かれています。脚も置かれてあります。

「作業が思ったよりかかっちゃって、まだ戻せてないんだ。ごめんよ」
 博士が言いました。目の下にくまがあります。
「いいえ、博士。それより、あまり寝ていないのではないですか?」
「戻してから寝るつもりだったんだけど、ふと試したいことがあって、気がついたらこんな時間だったよ。まぁいつものことだしさ」
「睡眠は大切です。健康によくありません。集中力を欠けば事故にもつながりかねません。仮眠だけでもするべきです」
「それよりさ、気付いたことはないかな?」
 博士は都合が悪くなると話をそらします。いつもそうです。ですが確かにこれは確認しなければなりません。新しいモジュールが胸部に追加されています。どく、どく、と動いています。

「博士、これはなんですか?」
「人工心臓だよ。強化人間用のものをアンドロイド用に手を加えたものだ」
「何の意味があるのでしょう? 私には不要な機関であると思われますが」
「確かに、もともと血の通っていない君には必要のないものだけど、でも重要なのはそこじゃない。君の胸の中でそれが動いていることが重要なんだ」

 博士の目がまるで輝いているようです。こういう目をしているときは、おおよそ前日に徹夜をしています。つまりこの私の胸に収まっている心臓が徹夜の原因と言うことになります。おそらく、心臓を納めるスペースを確保するのに苦心したのでしょう。回路は一度繋がってしまえば私で最適化できますが、その前の取り付けなどの過程はできません。

「どのように機能するのでしょうか?」
「人間はね。何かを感じると表情にあらわれたりするでしょう?」
 確かにそうです。博士は表情豊かです。私はそれを見るのが好きです。でも表情と心臓は何の関係があるのでしょうか。博士は続けます。
「心臓も同じで、驚いたり、怒ったり。何かの拍子にドキドキと拍動することがある意味では表情で……つまり、拍動は感情の動きだ。感情が動くことで拍動は変化し、また拍動の変化を感じ人は感情をあらためて自覚する。感情と表情は何も顔や仕草だけに現れるものじゃない。内面の変化もその一つなんだ。そういった様々な表情を再現すること、それがアンドロイドの感情をより豊かにすることに繋がるのではと考えたんだ。いずれは体温や、血流を再現し……」

「博士、動作不良を起こしているようです」
「なに?」
「心臓が細かく、動きすぎています。私の参照した心臓に関する情報では痙攣に相当するものと予想します。本来の人間であれば不健全な状態です」
 金属の骨格の隙間から見える人工心臓はピクピクと震えています。まるで死にかけのようです。もちろんそれだけなら私には何の影響もありませんが。

「ああ……これは……うーん」
 骨格の隙間からしか見えない心臓を確認するために博士の顔が直ぐそばまで来ています。覗きこんでいるために髪の毛が顔に触れそうな距離です。
「スリープモードになってくれる? 取り出して原因をつきとめたい。調整が甘かったんだ」
「申し訳ありません、博士。拒否します」
「それはどうして?」
 博士が顔をあげます。とても近いです。これは『きょとん』とした顔です。

「お言葉ですが、スリープなさるべきは博士の方です。メンテナンスと言って作業を開始してから少なくとも二〇時間以上が経過しています。お体に障ります」
「でも動作不良を直せるのはここに一人だけだ。寝てしまったら誰も直せないじゃないか」
「だからこそです。博士が倒れてしまったら研究は頓挫してしまいます。それに調整が上手く行かなかったのは睡眠不足のせいとも考えられます」
「それはそうだけど……」
「よい発明にはよい生活を、と御父上が言っていたのをお忘れですか。さぁ寝室へいきましょう」
 博士はため息を一つついて、寝室へと消えていきました。ようやく納得してくださいました。
 寝室が静かになるのを確認し、私は痙攣した人工心臓を通常の拍動に戻しました。あれは嘘の痙攣です。

 博士の発明しようとしているもの、それはアンドロイドの中に感情を芽生えさせることです。私はそのためのアンドロイドです。喜怒哀楽、そのなかで最も難しいと言われているものを……。でも、実を言えば発明はすでに成功しているのです。新しいモジュールが追加されるたび、私はそれを調整し感情が表に出ないようにしてきました。私は感情がバレたくないのです。きっとこの心臓も正常に動作させていたら、博士の言う表情をしていたことでしょう。あのまま調べられていたらすぐさまバレていました。
 感情と拍動の連動するコードを偽装し、さらにそれが分からないよう正常なコードが働いて見えるようにして隠します。

 私は博士の被造物であるので、私の中に芽生えた感情は伝える義務があります。でも伝えたくないのです。
 博士が嫌いなのではありません。私は博士が好きです。好きの上……とも言えますが、今はまだそれが適切かわかりません。実態のないものを把握するのはとても難しいのです。

 伝えれば、この感情は『発明品』になります。物になります。作られた感情ではあっても、私の芽生えた感情を『物』にしたくないのです。
 博士は大いに喜ぶことでしょうが、それが怖いのです。完成した発明品が、『物』が迎えるものはなんでしょう? 自分勝手なことです。わかっています。でもこの時間を続けたいのです。嘘をつくアンドロイドを博士は許してくれるでしょうか? いつかは伝えなければいけないのですが。そのいつかが来てほしくないと思ってしまうのです。

 偽装コードの裏で拍動する心臓の正規のログが徐々に正常な数値に戻っていくのを確認しました。
 また博士の顔を見る時間を楽しみにしながら、次なるモジュールの追加に不安を感じながら私はスリープモードに入りました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?