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やり直せるなら

 昼のニュースによれば地球はあと数時間で終わるらしい。赤い巨大彗星の衝突によって滅びるのだ。まさかと信じられなかったし、信じたくもなかった。それでもこれは現実だ。もうすぐ終わってしまうんだ。

微かに空は赤く、空気は熱を含み、まだ春だというのに夏の夕方のようだった。空にはさも当然という顔つきで巨大彗星が浮かんでいる。『人類はいずれ滅ぶ』よく聞く話だけど。でも、もう少し後の時代だって良いじゃないか。そうならどんなに良かったか。

 赤く染まった街を僕は走っていた。
僕は恐竜が大好きだった。父さんにせがんで何度も博物館に行ったのを覚えてる。恐竜のコーナーの終わりには模型の過去に地球に衝突した隕石の模型があって、それを眺めてはどんな気持ちで恐竜たちが本物の隕石を見ていたのか想像をめぐらせた。怖いとか思ったのか、綺麗と思ったのか……それとも何も思わなかったのか。恐竜と同じ最後を迎えるなんて当時の自分が想像できただろうか。無理だ、そんなのいくらなんでも思い浮かぶ筈がない。ただ、恐竜はあと何時間で自分たちが死ぬかなんて知らずに滅んだのは確かだ。でも、僕は知っている。いや、知ってしまっている。PCやスマホや街頭テレビなんかのどれもこれもがカウントダウンを表示している。大きさだって知ろうと思えば直ぐに調べられる。

 僕は走っている。行かなくちゃいけない場所があるんだ。
そこまではまぁまぁの距離がある。電車に乗れれば楽だけどもちろん動いてない。自転車はパンクしたままだ「直さなくていいの?」って先週、母さんに言われた時にすぐにやるべきだった。でも、やらなかった。普段は電車で移動する事が多いから別に平気だと思った。その時は巨大彗星の影も形もなかったんだ。巨大彗星は突然現れたんだ。それも昨日だ。

 今、目的のビルの真下にいる。ここの屋上がいつもの待ち合わせの場所だ。あの子とのいろんな思い出のある場所だ。屋上は普段なら施錠されていて入れないけど、でもあの子は何故か開け方と知っていて、毎回コッソリ忍び込んでは屋上で合流した。今日こそは開け方を聞けるかもしれない。聞いたところで活用する機会は二度とこないだろうけども。

 ビルの横に設けられた外階段を駆け足で昇っていく、階段の金属の床が軽い音を響かせる。いつもならコソコソと行くところを今日は堂々と走って上がっていく。こんな世界なので誰も注意なんてしないし、気付いたところで何も言わない。なんだか変な気分だ。僕は階段を昇りながら赤い巨大彗星を睨みつけた。

「お前のせいだぞ」

 今日で全部が終わってしまう。眼下の街並みは夜と共に消し飛んでしまう。遠くに見えるショッピングモールや学校、公園、それ以外も、みんな、全部が。もしかすると僕も化石になったりするのだろうか。あの博物館の展示のように。それならやっぱりあの子の隣が良い。
 彗星の落下で一つだけ良いことがある。世界が終わるのに良いこと……なんて表現もおかしいけど。僕の人生の物差しで言えば良いことだ。最後の最後に最悪な方に行く可能性もゼロではないけど……でもやらなけりゃ、本当に最悪な終わりになってしまう。最後に一つ、とびきりの良いことがあって終わりたいじゃないか。

 屋上についた。あの子もいる。いつものように手すりに体を預けてよりかかって遠くを眺めていた。いつだってあの子は一番にここにいた。
 頭上には赤い巨大彗星。なんだか不思議な光景だ。彗星の赤に微かに照らされたあの子はいつもよりミステリアスで魅力的だ。風になびく髪も赤みを帯びていて、熱をもった空気もどことなく柔らかい。赤い光の中で彼女がポツリと浮かんでいるようにさえ見えた。

 息が苦しい、心臓は体の中で跳ねまわっているように落ち着かない。走って来たから当然だけど、でもそれだけじゃない。この汗だってそうだ。暑いからってだけじゃない。早く息を整えないと。
 屋上はいつもより広く思えた。階段からあの子までの距離はせいぜい六メートル程でそんなに離れていないのに、距離感がいつもと違う。これも彗星のせいか?

「すごいね」
あの子が彗星を見上げながら言った。
「あんなに大きくて、それにすごくゆっくり。実際は凄い速さなのにね」「そうだね」と返事をしようとしたけども口はからからで上手く言えなかった。
「なにその声、ガラガラじゃない」
あの子が笑って言った。こんな時でも彼女は笑っている。
「ほら、これ」
 僕の方に向き直って屈むと足元のペットボトルを投げてよこした。受け取った時の衝撃で冷たい滴弾け、その拍子に幾つかの水滴が僕の腕を伝っていった。
「……飲まないの?」
自分の分を飲みながらあの子が言った。
 僕はペットボトルに視線を落としていた。ペットボトルもあの彗星に照らされて僅かに赤みがかっている。もう大分近くなっているんだ。世界の夕暮れがすぐそばに来ている。

 あたりは妙に静かだった。暴動が起きるわけも、事件事故が多発するでもなく、世界は静かだった。混乱が全くなかったわけではないけど、あまりにも突然すぎて人類にはパニックになる暇すらなかった。今はただ皆が現実を受け入れている。少なくとも僕の住んでいる周りはそうだ。

「……こうしていられるのってさ、あとどれくらいかな?」
あの子が言った。
「時計、見てないの?」
「うん……」
そういえば階段を上がり始めてからは僕も見ていない。あとどれくらいの時間なんだろう?どれくらい残されているのだろう?
「新年のカウントダウンみたいに、そういう訳にもいかないじゃない?……ま、だいたい分かっちゃうけどさ、あとどれ位かなんて」

 僕はペットボトルの中身を勢いよく喉に流し込んだ。爽やかで冷たい飲み物が喉を、体を冷やしていく。そして、咽た。

「そんなに急いで飲まなくたって」
あの子は笑った。確かにそうだ。ただ飲むこと、これだって最後なんだ。もっと味わっても良い。でもそれより大切なことがある。もっと、もっと大切なこと、それは今日を逃したら永遠に来ないんだ。

「そんなと突っ立ってないでさ、こっち来なよ。一緒に滅ぶ様を見ようじゃないか」
「うん」
「どうしたの?元気ない……のは当然か」
彼女が小さく、自嘲気味に笑った。
「その……」
「何? 遠慮なく言うが良いぞ?」
「前から君の事が……君の事が好き、なんだ。だから……その、最後だけど。一緒にいて欲しい。ここで最後まで一緒にいて欲しい」

 言えた。言ってしまった。本当はもっと早くに言うべきだった。情けないと思った。こんな事にならないと言えない自分に、こんな事になって初めて伝えられたことに。彗星なんてこなければ。でも彗星が来なかったら、きっと僕はあのままだった。

「30……5……かな?」
彼女が小さく言った。はっきりは聞こえなかったけども何のことだろう?僕への返事……なんだろうか?

「うん……わかった。よろしく、ね」
彼女が答えた。
「いいよ……一緒に見ていよう、ここで、二人で」
笑顔と、寂しさの混ざった表情に見えた。喜んでくれているんだ、でも、やっぱり。そう、そうなんだよな。
「ふ、ふふ……それ、どういう表情なの? 泣いてるのか、悔しいのか、それとも嬉しいのか……君はいつもはわかり易いのに、変なの」
そういう君だってそうじゃないか。喜びと悲しみと寂しさが見える。
「本当はもっと早く伝えたかったんだ。けど僕がこんなばっかりに」
「本当そうだよね。私はずっと待ってたのになかなか言ってくれないからさ」
「それってつまり……」
「君はいつもわかり易いからね」

 つまりそれは、それはつまりそういう事だ。僕の気持ちはずっとバレていた。それはいつからだ?ああクソ!頭も体も、告白する前よりずっと熱い!「でなければ私もここまでしなくてすんだのに、あれをここまで引っ張るの、苦労したんだよ?」
”あれ”とはなんだろう?

「あれは、あれだよ」
 彼女が巨大彗星を指さした。
「私は君から聞きたかった。それでも君は、君なので、なかなか言ってくれなくて。何度もアピールしたんだよ?たぶんさりげなさ過ぎたのはは私の反省するところだけど。今までずっと気づいてもらえないものだから」
 つまり僕はかなりの鈍感だったということだ。まさか両思いだっなんて。でもそれと彗星にいったいなんの関係があるのだろう?彼女は続ける。
「だからもっと、なにか大きな切っ掛けが必要だと思ったの。今までよりずっと大きくて、私に言わざるを得なくなるような切っ掛けを、ね」

 全く分からない。僕と彼女はそういう関係になれて。でも、今日はその最初で最後の日で……。
彼女が彗星を指さした。
「あれ! 私が持ってきたんだよ」
「はい……?」
「あれを、私が、持ってきたの!」
彼女は誇らしげに腰に手を当てて言っている。いやいや、それはおかしい。いくらなんでも。
「おかしくないよ」
 赤く照らされた彼女のその笑みはいつもと少し違っていた。風はいつの間にか止まっていた。それでも彼女の長い髪は風に吹かれるように揺れ、微かに赤い光を纏っていた。

「私が屋上の鍵を簡単にあけられるの、そういうことだもの。屋上で騒いでいても誰にもバレないの、変だと思ったことはない?どんなに部活が遅くなっても私が一番にいたのを無理だと思ったことは?」
 彗星は完全にその動きを止めていた。スマホに表示されていたカウントダウンも止まっている。それだけじゃない。雲も、鳥も、人も、車も、全てが止まっていた。

「考えたことも無かった。でしょ……?」
「超能力とか、魔法みたいな……」
「どっちでも良いよ」彼女がいたずらな笑みを浮かべながら言った。
「魔法の方が良いかな、夢があって。一応、言っておくけど、人の心は読めないからね……でも君はわかり易いよね」

 彼女が微笑んだ。ドキリとした。そうだ僕は、この笑顔で好きになったんだ。それは何があっても変わらないことなんだ。ずっと、たとえ今日が最後であっても。彼女が人知を超えた力を持っていたって関係ない。でも……本当に今日が最後?
「最後じゃないよ。ただの切っ掛け作りだもの。それに君の口から聞きたい言葉が聞けたし。だからあれは元の場所に返すとするよ」
 そう言って巨大彗星へ振り向いて彼女が指を鳴らす。彗星は無くなった。赤い空も、熱を含んだ空気も消え去ってしまった。いつもの見慣れた景色があった。まるで全てが嘘のようだ。

「どこ行く?」
「……え?」
ぼけっと空を眺めていた僕の傍にいつのまにか来ていた。
「これからどこ行くかって話さ。初デートってやつよ」
「とりあえず、今は何も考えられないよ。あまりにも唐突すぎて」
「……ふふ、確かに。じゃぁここで暫く、いつものように、ね?」
そういうと彼女はまた笑った。

 僕の恋は実った。でも、とんでもない子に告白してしまった。途方も無く、とんでもない子に。
「あぁ、でもそうだなぁ」
彼女は腕を組んでなにやら考え始めた。
「なにか気になる?」
「点数が、良くない」
「点数?」
 そういえば僕が告白をしたとき呟いていた。あれは点数だったのか。でも何の点数だ?
「もう一度やりなおそう!そうしよう!ね?」
 そう言うと彼女は再び指を勢いよく鳴らした。空は再び赤くなる。空には消えたはずの彗星が現れていた。しかし今度は徐々に小さくなっている。違う、これは遠ざかっているんだ。鳥も人も前を向いたまま後ろに進んでいる。全てが逆に動いている。時間が逆行している。
「次は90……ううん。80点の言葉!期待してるから!またここで待ってるから!だって、やりなおせるなら二人の最高の瞬間にしたいんだもの!」
 あの声が遠ざかっていく、視界が徐々に暗く、全てが遠ざかっていく。時間も思考も……僕は、あの子に……。

 昼のニュースによれば地球はあと数時間で終わるらしい。赤い巨大彗星の衝突によって滅びるのだ。まさかと信じられなかったし、信じたくもなかった。それでもこれは現実だ。もうすぐ終わってしまうんだ。
 だから僕は行かなくちゃいけない。僕はあの子に会わなくちゃいけない。会って思いを伝えるんだ。僕は赤い巨大彗星を一睨みして、いつもの階段を昇り始めた。

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