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岐阜の朝の風景より
平日の中日に地元の先輩とご飯に行く約束をしたので実家に帰り、
翌日は岐阜の実家から直接名古屋のオフィスへと向かった。
いつものパターンだと、岐阜から名古屋へ電車に乗って帰るのは夜のことが多い。
ぬくぬくと日常から離れて過ごすオアシスのような実家から、
少し責任と緊張が伴う生活の場へと向かうのがなんとなく寂しくて、
夜との暗さと相まって重い気持ちになることが多い。
今回はいつもと違い、地元民かのごとく通勤ラッシュにまぎれて朝7:30の電車に乗り込む。
大学時代は一限に向かうため毎日乗っていた電車だから、自然に振る舞うのはお手のもの。
6月半ば、湿気が出てきて本格的な暑さが迫ってきた日だった。
電車から見える景色にビルのような高い建物はほとんどなく、
水が張られた田んぼの中に、似た形の一軒家がほどよい距離感で並ぶ。
そういえば、初めてひとりで東京都内を電車移動した時は、電車が走るギリギリのところまで所狭しと細長くその身を並べる家々に驚き、少し怖くなった。
こんなにしてまでたくさんの人がぎゅうぎゅう詰めで暮らす東京とは一体どんな場所なのか。。
結局、社会人生活でも今のところ東京に住まう予定も希望もないので、それはわからないまま。
話は戻って、
通勤ラッシュで橋の信号に並ぶ車、
スーツや制服を着て自転車を漕ぐ人たち、
軽トラから降りてくる畑作業のおじいちゃん、
うんうん、これぞ岐阜の朝の風景。
その日は雲ひとつない青空が広がっていた。
燦々と降り注ぐ太陽の光が、屋根や田んぼに反射して煌めく景色がとても美しかった。
普段、名古屋市内の家からは地下鉄に乗って通勤する。
地下鉄は雨風や人身事故が原因で遅延することがほぼないという点で毎日の通勤手段として安心だ。
しかしJRや名鉄など、地上の高い位置を走る列車に乗るたび、やはりこらちの方が好きだなと思う。
高いところから土地を眺めるというのは、
自分の知らない広い世界があるのだということや、
私が生きる今日は、世界のたっっっくさんのいのちのなかの、ほんの小さな一部に過ぎないということを、
視覚的に思い出させてくれる。
生きていればいつでも、大なり小なり悩みは尽きなくて
だけどその悩みから一歩抜け出して前を向くきっかけには、2種類あるなぁとふと思った。
ひとつは、その悩み・問題そのものを捉え方を見直し、問題自体を小さくする、もしくはなくすこと。
もうひとつは、なんてちっぽけなことで悩んでいるんだ!と、
その問題の小ささを、他のもーっと大きなものを認識することで思い出すこと。
なーんだ。こんな小さなこと、こーんな美しい世界に生きていたらどうだっていいや!というように。
朝からこんなことを電車で考え、書き残したので、残りの時間はうつらうつら気持ちよく揺られて寝ることとする。
おやすみなさい〜
ps.カバー画像は、寝ぼけ眼でiPhoneのメモに描いていた、綺麗だなぁと思った家と田んぼと太陽の光です笑
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