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浪漫主義エステティカ

夏の夜なので
涼しげに、語ろうと思う。

「 美しいものに心を揺さぶられた時 」 について。

・  ☽⋰  ・

ジョン・ブレット
《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡》1871年

例えば去年、この作品を中之島美術館で見た時。

(この作品は、スケールも合わせて壮大さを感じるので、こうして表示しても得られる効果は部分的だが)



栓がひとたび弾け飛んで、
清らかな水で満ちていくように。
感情という感情が、洪水を起こす。

一瞬  一瞬だけだけれど、
世界が、全て無に帰る。
息が止まる。
死んでしまいそうになる。

そして刹那、無が有となる。
酸素が飛び込んできて、生命が溢れ出る。
光とか色とか ぜんぶ虹彩に取り込まれて、
やっと処理できた感情が
美しいという快の感情が、
心から体の隅々まで沁み渡る。
わたしの中の水分は、
透き通っているように感じてくる。
泡立ってしゅわしゅわで、
心地よくつめたい透明。

イマジネイションが駆け巡る。
この感情を表す言葉を探し求めるから。
でも、見つからない。完全に表現できる言葉なんて、無い。だけど少しでも理想に近づく表現を、思い巡らせるこの瞬間もまた喜びに溢れている。

例えば、そう、こんな感じ。
朧気に白く俯く、朝の月。儚い少女の横顔のよう。純粋無垢な白が、空の淡い水色に、少し溶け込んでいる。水彩を垂らしたように。夜空にいる貴方は鮮明だけれど、朝焼けにいる貴方は幻想。どちらも素敵ね。

美しさを表すとき、こうして比喩を用いるのが好きだ。美しいものを美しいものと結びつけて、わたしの美学がふんわりと拡がるから。
勿論、比喩を用いずに、端的に最も似合う言葉でおめかしさせてあげるのも好きだけど。小ぶりなピアスみたいな、ワンポイント・アクセサリーとして。

だけど、どんな方法をとっても、表せない、
それが人生の美しさ
可能性を狭めてしまいたくないのだと思う。
複雑だからこそ美しいから。
わたしの人生の美しさなんて、秘めておきたい。いや、やっぱり見せびらかしてしまいたい。
だから、こうして微かに分かって貰えるように、文学という形で残すの。
覚えておいてくれなくて良いから。忘れるのも、美しさだから。
感情の一欠片 引き出しから見つけて、
思い出したくなりますように。

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