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私の死生観と社会
私の死生観について
自分でも整理したいと思ったので書いてみます。
他者と自身を切り離して考えられない方は読むのをお控えください。
私にとって死は、「明日は何しようかな」と同じです。
不謹慎だ、とか。生きたくても生きられない人もいる、とか。あなたの常識はひとまず置いておいてください。私でない他の人とは切り離して読んでくださいね。ここにあるのはあくまで一個人の考え方です。
さてこれを書いている今この瞬間私は生きるという選択を取り続けているわけですが、なぜそうしているかというと【やりたいことがあるから】にすぎません。やりたいことがなくなれば私は死ぬでしょう。
これについては今のところ尽きる気がしないので心配は無用です。
しかし最近「やめてしまおうか」と思うことがよくあります。
様々な状況でその選択肢が頭に浮かびますが、よく考えてみると一つの原因にたどり着きます。それは【社会】です。
私にとって【社会】とは【凝り固まった大きな脳みそ】です。
誰かの当たり前を不特定多数から押し付けられる場所です。
社会に出たら私も大きな脳みその一部になってしまうと考えると、嫌悪と忌避でいっぱいになる。これはもう自分を強く持つとかではなく、社会がそういうものである以上、いずれ私も私でない誰かに【社会】を押し付けないといけない立場からは逃げられません。
私でない誰かに【お前もこの大きな脳みそたれ】と、そんなことはしたくないんです。言いたくないんです。何より私が社会になりたくない。
そんな社会に溶け込めている人が、私は怖くて、わからなくて、羨ましい。
そんな社会の皆様が働く理由は、今日も生きるためだと思っています。
生きたいから生きる。ご飯を食べる。食べるためにお金を稼ぐ。稼ぐために働く。では【社会に染まりたくない】から【生きない】選択を取りたくなる私はダメなのでしょうか?
貴方が正しいと思っていることは、他人にとっても正しいこととは限らない。私は常にそう思って生きているので、自分と違う考えの人を否定しません。しかしこれは【私の常識】です。
【私の常識】は【社会】には向いていないようです。
なので私はいかに自分を社会と切り離しながら生きていけるか、を模索しています。あーあ、宝くじあたんないかな。
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