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【悩みの解決】現実界は、見えない世界で起こる出来事の反映に過ぎない。まずは目に見えない世界を変えることから始めよう。【精神世界】【霊感】


神は「存在するか否か」ではなく、「受け入れるか否か」だ。

神は「信じる」対象でもあるが、実際は「対話」するための対象だからだ。

その存在を信じるだけでは、何の意味も為さない。


ときに、人生とは「対話」そのものだと言っても過言ではない。

「人間は考える葦である」とはよく言ったもので、人は何かしら考えながら生きている。

それは即ち、考えを重ねていくことであり、ああではないか?こうではないか?と常に自分と対話しながら模索しているのだ。

他者とのコミュニケーションはもちろん、仕事も、趣味も、生活そのものが言ってしまえばすべて対話だ。

──何をするか、何をしないか、どれを選びとって、どれを捨てるか、何が間違いで、何が正しいのか──

試行錯誤と取捨選択で、日々、成長したり、退化したりしている。


神は人と対話するために、ある書物を残した。

それが聖書だ。

調べれば明らかだが、すべての宗教の要は、この聖書にある。

では、あの分厚い聖書は一体、人類に何を伝えたいのか──。

一言で言うならば「神は愛である」ということだ。

人は神から愛される存在であり、人もまた神を愛して生きる存在だと伝えたいのである。

しかし、昨今神に対するチープな考えが蔓延るなかで、「神と愛し合う」なんて考えが思いつく人はまずいない。

ましてや「対話」するなどもってのほかだろう。

神はもはや、信仰の対象とは遠くかけ離れてしまった。

人々は何かいいことがあれば「運が良い」、悪いことがあれば「運が悪い」、最悪なことがあれば神を恨む…。

深い考えは無いまま、神を都合よく解釈する人が大半なのだ。


都合よく解釈する脳内で、どのような現象が起きているのだろう。

まず、脳内では様々な対話が行われ、理論が組み立てられる。

「結婚できず孤独なのは、他人が自分を理解してくれないからだ」

「生きていても何の意味も無い、故に生きている価値はない」

「世界は悪人に支配されている、故に神はいない」

理論が脳内で積み上げられ、場合によっては、間違った考えが積み上げられすぎて手に負えない。


簡単に間違った考えが積まれてしまうのは、物事を短略的に解釈するからだ。

どんな出来事にも、深い「考え」が潜んでいる。

決して単純では無い。

自分で考えている以上に、目の前で起こった出来事ひとつからは、ありとあらゆる情報と考えを得られる。


では、何を受け入れ、何を排除するかをどの基準で判断したら良いのだろうか。

答えは簡単。「愛」だ。

とはいえ愛にもいろいろあり、大切なのは「真理に基づく本物の愛」かどうかだ。

私自身はつくづく愛のない人間だと、嫌と言うほど思い知る。

しかし、神様は違う。

その愛は次元をはるかに超えるものだ。

ごちゃごちゃ考えるよりもまず、神の愛を知ることだ。

神の愛が、男女が愛し合う愛よりもはるかに密なものであり、それが霊魂まで染み渡るならば考えは実にシンプルになっていく。

愛の対話が為されれば、自動的に脳内のゴミは消えていくことだろう。

神を愛することは、即ち神と対話することなのである。


より詳しく知りたい方は以下のリンクから

https://rapt-neo.com/?page_id=30947

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