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我が国の本名はこれだ!

古代中国王朝に謁見した最初の日本人は
きっと壮大な宮殿に圧倒され畏まっていたに違いない。

名を名乗れと高みから王の声が鳴り響いた。
殺される恐怖もあって、恐る恐る震える声で
和の国の者でございます、と応えて
身を縮め、頭を深く垂れて王の次の言葉を待った。
王は横目で一瞥し、「倭の国」としておくのがよかろうと
言い放ち、手を払い、引き下がるよう命じ、
汚物から目を逸らすがごとく、横を向き扇で顔を隠した。
倭とは低く背を丸めた小人を表す軽蔑の言葉であった。
小さく蹲った日本人を見て、そのままの姿を言い表したのだろう。

弱小国の悲しさで、大和の国は邪馬台国、和人は倭人,
そして、あろうことか女王の名「日の巫女」を卑弥呼と
当て字された。
間抜けた蔑称で未だに日本の歴史書に綴られている。

701年の大宝律令以降、やっと我が国は日本なりと
宣するようになった。
だが、ちょっと待て、この日本という国名の
意味は日の本に位置するということで、
中国から見て日が昇る東の国という相変わらず
中国主体の名称ではないか。

更にこれを中国読みでズーベンとかジーベンと
発音していたので、マルコ・ポーロなど西欧人の耳には
ジパングと聞こえ、それが英語的にジャパンになった。

日本人は古代から、自国名にはあまり拘らなかった。
呼びやすければ、それでいいという鷹揚な国柄なのか、
国という意識そのものが薄かったのか。

新疆ウイグルの人たちは頑なに東トルキスタンと主張する。
ウクライナは攻められてから首都名をロシア語のキエフから
自国語のキーウに変えたが、そもそもウクライナの意味は
辺境なところという不名誉なものだ。
大国の周辺の弱小国は多かれ少なかれ見下された名付けに甘んじる。

沖縄の人は今でも、日本をヤマトと呼んでくれている。
そうだ我が国は大和国なのだ。
大いなる和のこころ、古事記に大和はまほろば、素晴らしい国という
記述もあり、正統な国名として大和を名乗っていいのじゃないか。

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