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『語彙力こそが教養である』 Part1

こんばんは、ぱんと申します。

書評シリーズ第二弾、『語彙力こそが教養である』について書きたいと思います!例によってまだ読み終わっていません!!!()

第一弾、『読書は「アウトプット」が99%』 Part1 はこちら

この本の構成としては、5章立てで、

1章…なぜ「語彙力こそが教養」といえるのか
2章…本による語彙のインプットについて
3章…本以外からの語彙のインプットについて
4章…語彙のアウトプットについて
5章…ワンランク上の語彙獲得について

という感じになっています(今4章の途中なので、5章とかはすこし違う可能性がある)。

前回記事にした『読書は「アウトプット」が99%』を読んで始めた「本に付箋を貼って読む」というのをこの本でもやってみた結果、既に30を超える付箋がつきました。
たくさん付箋をつけても見返さなかったら意味がないことは分かっているのですが、それでも大量につけてしまいます。それは、この本の中では「語彙トレのために読むべき本」が多く紹介されているから。しかも齋藤先生による、その本の面白さや時代背景などの軽い解説付き。「これは付箋をつけておいて後で買いたい…!」となった本が後を絶たなかったわけです。

この本を読んでよかったこと

・読みたい!と思う本が増えた
 …前述の紹介されている本を貯めているため、今週末書店に行ってきます(駒場の書籍部だと全然足りない)。

・「教養のある人」とはなにかを学んだ
…第1章で、語彙力を身に着けることが教養人になることだという著者の主張の理由に納得したというのもあるのですが、この本を読んでいて、全体的に「あぁ、この人は教養があるんだな」と感じたのです。同時に、「こういう人になりたい」とも感じました。昨年の夏前までは東大の前期教養学部に所属していて、教養を身に着けることに多少なりとも関心があったため、この辺りは読書へのモチベーションを刺激される原因ともなりました。

教養を得ることは生きていくうえで必要というわけではないと思います。でも、豊かな人生を生きていく、もっと月並みに言えば楽しく人生を生きていく、ということを考えたときには、避けては通れない道なんじゃないかなとも思うのです。
ノブレス・オブリージュという考え方もありますし(それが現代日本、また私を取り巻く環境に即した考え方であるかの議論は置いておきますが……)。

それでは続きはまた次回、Part2でお会いしましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。またどうぞ。

【おまけ】

今日は疲れているのか、「幸せになりたい……」と連呼していた日でした。癒しが欲しいね。あと何もしなくてもいい休み。

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