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ニンゲン見た目が9割

くそ!!ふざけやがって!!そんなに顔が大事か!!数字は嘘つかないのが現実ですね。はいはい、今日はそんな話。

仕事柄、身バレしないよう気を使って生きている。駆け出しだし、フォロワーもいないから大丈夫だろうと思って顔出しして記事を書いた。

仕事垢でほんのりnoteのこと呟いたら「特定できない!」とファンの子に言われ、やばい!と思い顔写真からイラストに変えた。

するとフォロワーが減った。

これは揺るぎない数字に現れているから、弁解の余地なし!

解せない。

しかし背に腹はかえられぬ。もう一度顔出しをすることに決める。

(だけど桁が後1つ増えたら、目隠し写真にしようと思う。踊るさんま御殿風の写真撮らねば。)←蛇足

私は逃げ場所が欲しかった。思ってることをオブラートに包まず言える場所が欲しかった。

話を表題に移すが、私は母親から「この世は見た目が9割」と言われて育てられてきた。見た目で損することもあるし、得することもある。この世は不条理だと教えられてきた。

ひた向き頑張れば夢は叶うだとか、ブスでもデブでも美人やイケメンと同じ待遇をされるとは教わらなかった。私はそれで良かったと思っている。それは自分が美人だとかそういうことではなく、子供の時から社会の本当の姿を見せてくれていたから。

容姿の話に関わらず、注射を打つときも「痛くない?」と聞くと母は「痛いよ。注射だもん、痛いに決まってるじゃん。でもすぐ終わるから我慢しなさい」と即答する。医者や看護師がびっくりした顔をしてる時もあった。

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だけど「痛くないよ」ともし母が私にそう答えても、数秒後には痛みが私を襲うだろう。すると私はどう思うだろうか?母はウソつきだと思うし、注射を嫌いになるだろう。

「注射は痛いものだ」と言われ、直後に痛い注射がされる。「だけどすぐ終わる」と言われ、本当に数秒で終わる。ただそれだけの事だ、だがそれがとても重要なのだと思う。

人間として生まれ、人間として生きていくことを選んだのであれば、享受すべきこともある。それは一種の諦めかもしれないが、私は人を変えようだとか、制度を変えようだとか、時代を変えようだとかは思わない。

何かを変えるには何か大切なものを捨てなければならないから。私はこの不条理な世界の中でかけがえのないものを手に入れてしまった。もし誰か変えてくれる人がいるなら、その人はまだこの世に可能性を見る美しい人だとも思う。






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