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残留孤児について ③

皆さんこんばんは!

今日は中国から日本への引揚についてお話します。両親から聞く話によるととても大変だっととのことです。

引揚の制度を使うため様々な書類や、申込み書の提出が必要でした。中国で書類を取得するのはとても大変なことです。日本みたいに役所に行ったら必ずもらえるものではありません。

提出書類が違うだの、場所が違うだの・・・・色々なんくせをつけて賄賂を出させようとしてきます。

実際、お父さんが何度もなんども同じ役職にいってお願いしたり、時にはご飯に連れて行って接待したりと・・・。

また、田舎の役所では対応できないと言われ、遠く離れた都市部までいき書類作成したりと・・・なんだかんだと書類集めに1年はかかりました。

その間、親戚はほとんど助けてくれなかったようです。

当時の中国は規制が激しく外国の情報なんてほとんどはいってきませんでした。そんな中遠く離れた日本に移住するための書類を集めている両親は浮いていました。周りからは、日本にいって奴隷になるのか。いっても起き使われて今より貧乏になるだけだぞ。と反対のあらしだったみたいです。

私はまだ4歳くらいだったので、日本にはどんな美味しい料理があるのかなーとのんきなものでした。

周りから批判されながらの準備は相当大変だったと思います。

どんな気持ちで決断したのか・・・今振り返ると、あの当時は中国にいても未来が見えなくてこのままここに住むなら、奴隷になってもいいから日本にいってお金を稼ぐと二人で誓ったそうです。

そんな一大決心をして日本に来ました。

日本へは、お父さん、お母さん、お母さんの弟2人、おじいちゃんと私の6人で入国しました。

最初は日本の暮らしになれるために他の引揚メンバーと一緒に集団生活をします。そこで日本語、日本の文化を勉強します。

次回は日本に来てからのお話をします!お楽しみにッ!

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