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「嫌い」の可視化

現代のインターネットは大変便利なものですが、
インターネット老人会をやっていると、ひとつパッと体感できる大きな罪があります。

それは他人の嫌い・ネガティブな感情が見えてしまうようになったこと。

今は簡単にSNSやブログで萌えや好きを発信して世界中の同じ趣味の人と繋がる事が出来る!
なんて素晴らしいことでしょうか。
同好の士を探すことだってSNSが普及するまでは大変でした。
ただし逆も然りで、指先ひとつで簡単に世界中の嫌いを覗いてしまうことが出来る。
「私の好きなあの人」の「私の好きなその特徴」を、「嫌いな特徴」と思う人が何処かに必ずいる。
万人に好かれる聖人なんてそれこそファンタジー、空想の中の人物ですから。

見えなければ気にしないのは簡単なのですが、

大体にじさんじの○○さんにハマった!今まで何してたか調べたい!
ってなったら最初にたどり着くのって、
正直公式の非公式wikiか、
「好き嫌い.com」のどちらかですよね。
初期になんにも考えないで後者を開いたとき、何この蠱毒…とびっくりしたのを思えています。
双璧をなす老舗、害悪の坩堝、便所の落書きと言われて久しい5ちゃんねる(2ちゃんねる)ですが、
どちらも見た上でフラットな感覚で言えば好き嫌いの方がタチが悪いです。
5ちゃんねるは、私が見た限りではその時配信をして目立っている人が叩かれ、
次から次へとその標的が移り変わるというイメージを受けました。(ただ、根底に「女性が好きな人気男性ライバー」へのヘイトがあるので男性ライバーを擁護しようものなら女性扱いで蔑視され貶められますが。)
対して好き嫌いは個人個人のページがあるので狙いを定めたライバー一人をずっと粘着出来る、別の人物に切り替わることもないので延々と粘着し続けられる、嫌い意見に同調のgoodが付く→結果嫌いが増幅されていく、というやり方で、
女子によく見られる味方を増やして主語をでかくしたいという陰湿なイメージ。
好き派の意見はじゃあ平和かな?と思えばそんなことも特にありません。
うーん蠱毒。
サイトとしては好き派と嫌い派に分かれているのですが、好きの意見に徒にbadをつけたり、嫌いの意見に脊椎反射で感情的に反論したり…
とにかく自分の感情と反している他人の好きは否定し、
自分の感情に見合った他人の嫌いを肯定する、そんな印象。

好き嫌い.comと言っている時点で嫌いの意見を言う方もサイトの意思としては正しいし、
そもそも、正の感情も負の感情もあのサイトに置いては正しい行為なので誰かがそのどちらかを否定したりするのもおかしい、と思うのですが…?
一方的に匿名で書き捨てられるので議論にもならないし。更にgood・badなんて書き込むよりももっと軽い気持ちで押せますしね。

えにからとカバーが、誹謗中傷に対してノウハウを共有し、共同戦線を張っていくと発表されていましたが、
勿論悪意ある偏向切り抜きのまとめ動画、まとめサイトはいの一番に対処して頂きたいですが、好き嫌いも個人的にはちょっと…
ギリギリアウトかと…
5ちゃんねるはもう、元々Vとか関係なくアウトのラインを何回も超えてるのでまた別の議論が必要な場所なので、はい。

とりあえず、好きなライバーさんが出来た!
という新しくファンになった人たち!
にじさんじでググったあとに出てくる「好き嫌い」は見るなよ!
精神衛生上見るなよ!!
なんとも言えないジメッとした不快さに襲われます。

他人の意見に流されない人は物見遊山的な感覚でどうぞ。ただ書き込むのはやめておけ。
好き側にも嫌い側にも。
貴方の大切な「好き」という気持ちを踏み躙られる可能性がある。

ここでひとつ大事なのは、私は推しを全肯定しろと言っているわけではないということ。
推しのやること全てが正しく尊い、なんて思う人はそれこそ母親ヅラ・恋人ヅラ予備軍の可能性が隠れていますのでそんな盲目的な事はそれこそ見えないところでやって戴くとして。

ちょっとした愚痴って、推しの配信だってちょこちょこあると思うんですよね。

ただ5ちゃんねると好き嫌いは本人たちがエゴサしたとき確実に目に留まるし、どうしても愚痴を言いたいならクローズドな場所でやる健全さとネットリテラシーを身に着けてからにしようね、って感じです。
「見えない」方が幸せ、ということも世の中にはたくさんあるんですよ。

えにからとカバーがタッグを組んだことで、行き過ぎた誹謗中傷や粘着が減り、
純粋にライバーたちの配信を楽しめる状況になったらいいなと思います。

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