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わたしの祖父の話。

今更ながら、以前話題になっていたドラマ
「不適切にもほどがある」を鑑賞中。

引っ越してすぐに1話を見たとき、
当時引っ越しやら環境の変化やらで
心がぐらぐらしている中阿部サダヲが演じる
ズカズカ来る昭和男性の姿に
おろろろろ……となってしまい、
しばらくは見られなかった。

只今第8話ほどであるが、
ドラマを見て思い出したのは私の祖父である。

父方の祖父は、7年前に亡くなった。
亡くなる1週間前に
偶然私は祖父のいるホームに父と行った。
祖父の姿を見て
「もっと話しとけばよかった」
と強く思ったことを覚えている。
その1週間後のある日の夜に、
父から連絡が入った。

祖父は小さな島で生まれ、
戦争の疎開で九州に移り住み、
戦争が終わった後も九州で生活した。

私の記憶の中の祖父は、
ほとんどを病院や老人ホームの中で
横になった状態で過ごしていた。
私の妹でさえ、
おじいちゃんが元気だったころ、
歩いている姿は覚えていないという。

そのため、1人で住んでいる祖母の家に
行くたびに、もしここに祖父がいたら
どんな感じなんだろう、
どんな風に話すんだろうと
いまだに想像する。

私の中の祖父と話す記憶は少ないが、
きっと祖父にとって
私との思い出はたくさんあっただろう。
私は家族の中で念願の初孫であったので、
私が生まれたときは
みなとても喜んでいてくれたらしい。
特に父方の祖父は写真を撮るのが好きだったので、
いつも黒くて大きなカメラで
私の写真を沢山撮っていてくれた。
あまりにも愛情がいっぱいで、
私の写真をプリントしたTシャツや
写真入りキーホルダーまで作ってくれたらしい。

もし祖父が生きていたら、
戦争を体験し昭和を生きてきた彼にとって
きっと今の時代の変化に驚くだろう。
祖父が生きていたら、
祖母のようにスマホが使えたのかな。
ドラマのように昔の生活はどうだったのか、
祖父は何は好きだったのか聞いてみたい。
楽しかったことはなにか、
これからしたいことは何か。
写真はいつから好きだったのか、
カメラのことについても教えてほしかった。

私が中学生くらいのころから
老人ホームで過ごすようになった祖父。
家族でよく顔を出していたが、
そのころの私は
受け答えがおぼつかない祖父に
何を話せばいいのか分からなかった。
どうやって接したらいいのか戸惑った。
それでも、あの頃のほうがきっと
まだ話せたことはあったはずなのに。

話したかったこと、聞きたかったこと。
もう取り戻せないけど、たくさんある。

祖父が亡くなったのは
ちょうど成人式の前撮りの前だったので、
振り袖姿を見せたかったなぁなんて思った。


*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。

全く違うテイストなドラマなのに、
なんだか祖父のことを思い出して
今の気持ちをそのまま書きたくなった。

これを書きながら
もう7年経ったのかと
そんなに時間が過ぎたのかと思う。

7年経った今、
私は小柄なおじいちゃんとは真逆の背の高い、
そしておじいちゃんと同じように
写真を撮ることが好きで、
きっとおじいちゃんもそうだったように
愛情深く優しい旦那さんに
出会うことができたよ。

もう話せないけど、話せなくても、
こうして時々思い出してあげたい。

そして幸いなことに
父方の祖母と母方の祖父母は元気なので、
たくさんたくさん話していきたい。

後悔がないように。