見出し画像

不安なことと、初夏の祝祭の話


自分を愛してくれる人のすべてを、まだ完全に信じきれていない。
己の悲しい癖で、喪失の痛みとか恐怖とか、そういうものから自分の心を守るための防御策だけど、相手に対して誠意を欠いた考え方だ。
ただ、経験上どうしても、「あなたのこと好きじゃなかった」と言われたときの、心臓の奥が鈍く冷えて痛む感覚が消えない。
あの痛みに対して、耐性が欲しい。
そんなものを食らう必要がないくらい幸せに過ごしたいのが本音だけれど。

何度目かのマッチングアプリ登録で出会った恋人は、びっくりするくらいの好意と愛情をわたしに向けてくれる。
「この人に誰よりも愛されてるのはわたしだ」と堂々としていればいいのに、まだそれができない。
「ごめんね」と言われて彼と離れる日がくるんじゃないかと、起きるかもわからない出来事に脅かされている。
というか、自分で自分を不安にさせているので、早いところこの考え方をどうにかしたい。

歴代の付き合ってきた人たちはみんな夏生まれで、わたしは彼らの誕生日を心の底から祝ったけれど、冬生まれのわたしの誕生日を待たずに別れていった。
(例外として1号がいるけど、今なお何のリクエストも聞かずに渡された誕生日プレゼントの数々を思い出しては腹立たしくなる)
奇しくも、今度の恋人も初夏の生まれだ。
この人の誕生日を何度祝うことができて、わたしは今度こそ誕生日を祝ってもらえるんだろうか。

ことあるごとにわたしの丸い頬が好きだといっては触れてくる人と、ブランド物の服とアクセサリーを嫌味なく着こなして颯爽と歩く人が同一人物なのだから、人間というものは不思議だ。
大きくて澄んだ目をした大型犬のような人で、この目が慈愛のような何かに満たされているときの視線がわたしだけに注がれているのを見ると、わたしを脅かすわたし自身は消えてしまう。
ずっと大切にしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?