スマホが日常に溶け込んでからというもの、腕時計をする、というのはある種の嗜好品扱いであったりするように思える。 Apple Watchに代表されるスマートウォッチに関しては、腕時計の形を借りたスマホのような通信デバイスの延長、と感じてしまう。 かつて僕が幼い頃、とても気に入っていた腕時計が3つあった。 ひとつはTIMEXのIRONMAN。 近くのホームセンターで買ったような気もするが、あのインディグロのバックライトが綺麗で、意味もなく布団に潜ってはのぞいていた思い出がある
白黒の液晶、ゲームボーイがとても懐かしく思い出される。 粗いドット、光源のない緑がかった液晶。 Nintendo Switchでさえ、いまや有機ELな世の中になるとは、あの頃の想像になかったんだろう。 きっとそれは、未来へのベクトルが違っていたんだと思う。 あの頃は、ゲームはゲーム、日常と非日常。 そんな距離感があったんじゃないかと思う。 いまは限りなくリアルに近く、どこでもゲームと一緒にいられて、ゲームのためにリアルを一生懸命いきているひともいる。 それはきっと、ゲーム
使い方も大してわからぬまま、メモ帳のようなこの空間に、はじめましてと、こんばんは。 いまだから懐かしむことのできるもの、ことがあるのは、多分にしあわせなことで。 良いでも悪いでもなく、懐かしいってしあわせなんではなかろうか、と。 そんなふうに思うこともまた、いつかの未来から見れば、懐かしい、になってしまうのかもしれないから、 だからいま、というモノ、オモイがあったことを、せめて、ここに。