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家を建てる①

私には4歳年下の弟がいる。
転勤の多い仕事に就き、かれこれ20年以上は離れて暮らし、会うのもせいぜい年2回程度という仲がいいのか悪いのか微妙な感じの弟だ。

その弟が昨年末、母と私を前に言った。
「家を建てようと思う」

私たち家族は27年前まで東京で生活していた。
両親と私たち姉弟。典型的な構成の家族だったと思う。
子供だった私にはわからなかったが、父は証券会社務めで、バブルの恩恵を大いに受けて年収もそこそこあったようだ。つまり、私たち家族は恵まれていた。

よくある話になるのだろうが、バブルが弾けて状況が変わる。
友人の借金の保証人となっていた父は、どういう事情かはわからないがその借金を返すハメになった、と聞いた。私たちのそこそこの生活は失われ、父と母は離婚こそしないが離れて暮らすことになった。

当時小学生だった弟と母は、一足先に母の実家がある青森に向かい、高校生だった私は学期の区切りまで親戚に面倒を見てもらうことになった。

それから27年。
私たちは「自分の家」を持たずに生きてきた。

青森には母の一番上の姉がいて、私たちを迎え入れてくれた。
私たちはそこで27年中22年を過ごした。
伯母が亡くなり、それまで生活していた家を本来の持ち主である従兄に返すことにした私たちは、それから根なし草のような貸家生活に突入することになる。

そんなこんなで5年を過ごしてきて、弟のこの発言だ。
いつから考えていたのか、弟はもうどこに家を建てるかその場所まで決めていた。

え???場所決めてんの???と思わなくもなかったが、お金を出してくれるのは弟…ということで自分を納得させた。職場までも遠くなり、通勤時間もかかることになるのだが、今の雪深い地域に比べたら雪かきの手間も減るだろうし。

母の生活圏からは完全に出てしまうことになる点が気がかりだったが、母自身はどこに住んでもいいと言う。母を「自分の家」に住まわせてあげたいというのは私の願いでもあるので、弟の計画に賛成することになった。

建築会社の方とお会いすることになって、実は間取りもほぼ決まっていると聞かされる。
またか……こういう所は父にそっくりだ。母曰く、東京で住んでいたマンションも父が一人で決めたのだと言う。血は争えない。

これから先何かを決めるときは自分だけで決めず、必ず家族三人で決めること、と言い聞かせて今に至る。

新築計画がどうなるか、ドキドキする反面楽しみでもある。

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