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ASD当事者として見た「厨房のありす」感想

「厨房のありす」というドラマを見た。主人公は自閉スペクトラム症を持つ女性で、料理店を経営している。

人の目を見ることができなかったり、話し方が独特だったり、当事者として「わかる!」と膝を打ち、門脇麦さんの演技に舌を巻いた。

ありすの経営する店にはメニューがない。ありすがお客さんの体調や様子を見て、それに合った料理を作る。化学が得意な設定で、化学記号を用いて栄養素の効用を説明する。

まぁ、いわゆる「ギフテッド」な発達障害なんだなぁ、と思った。

劇中、ありすに対して「天才」と言うシーンがある。それに対してありすは「普通」であることは素晴らしいと返す。自分は助けてもらわないと何もできない、と。

当事者としてありすの気持ちはとてもよくわかって(ASDだが)、思わず涙してしまった。そう、願うことはただ「普通」に生きていけることなのだ。

しかし私のひがみがふと顔を出した。

ありすには化学というギフテッドがあり、理解ある家族、友人に囲まれ、お店を経営して生計を立てている。こういうドラマを見て思うのは、発達障害がある人には特別な才能がある、という認識が広まらないでほしいということだ。

私を含め、発達障害のある人のおそらく大部分は、彼女のような才能には恵まれていない。取り立てて「何か」に優れているわけではなく、だからこそ凹凸の凹の部分が強調される状況で生きている。

もちろん発達障害や自閉スペクトラム症が広く認知され、理解が広まるのは嬉しい。一方で偏った見方が広まるのは好ましくない。これがジレンマだ。

何か特別な才能があるわけではない、マイナス面だけが目立ってしまう主人公がそれでも気持ちよく生きていくライフハック的な作品は生まれないものだろうか。



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