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インナーチャイルドに苦しめられていた義母との出来事

2か月半前の出来事から、私の中で時々ちらつくようになった、義母とのことを、先日からnoteでシェアしています。

とても個人的なことだし、夫の家族に見られたら。。。と、思うとシェアしていいものなのか、、、と躊躇していましたが、これを機会にもう一度振り返って自分の中で整理してみたかったのです。

こちらでシェアすることで、読んでくれた方の気づきや発見になれば幸いです。

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前回、前々回と義母と義母の妹の関係や、義母と義父との関係などを書いてきましたが、今回は、主に私と義母との間に起きた出来事や、その経験から学んだことや気づきなどを書いていこうと思います。

義父との関係が長年上手くいっていなかったこともあって、毎日義父に小言を言ったり、キーキー言ったりしていたので、義母がどうにか精神的に楽に幸せになってほしいと長いこと思っていました。

義母は、小さいときから自己否定感がとても強くて、外見にも全く自信がなかったし、自分には「運がない」「不幸な人生」と思っているようでした。

内側にあることが、正に外に反映されていて、それは義母の人相にも反映していました。

もちろん笑顔を見せることもあったし、チャーミングな表情を見せることも時折ありましたが、毎日一緒に過ごしている義父との生活で、険しい表情なことが多く、人生に疲れ切っているようでした。

「こうすべき」「こうあるべき」という細かいルールが多くて、人にも自分にも厳しい人だったので、批判的な言動が多かったです。

私に出来ることは、義母の感情に寄り添って話を聞いてあげることだったり、お手伝いをしたり、笑顔になるようなことをしたりというようなことでした。

出先で義母の好きそうなものを見つけると(食べることがあまり好きではなかった義母が好きだったダークチョコレートなど)、サプライズで渡すことがありました。喜ぶかなーと思って。

でも

「何で?誕生日でもクリスマスでもなんでもないのに?」

と毎回言っていて、戸惑われながらも受け取ってくれていましたが、ある日言われたんです。

「人から何かもらうと、お返ししないといけないし、その借りができるから。。」

と。

「いや、私はお返しなんて期待していないし、純粋にお義母さんが喜ぶかなーと思ったんだけど。。」と、逆にビックリしました。

体調が思わしくない中、家族みんなを家に呼んでご馳走作ってくれたりするし、日頃の感謝も込めてというか。。

でも、迷惑に思われているのなら、サプライズでプレゼントするのはやめようと思いました。

私は、なるべく人には気持ちよく過ごして欲しいし、その人その人が持っているパーソナルスペースを尊重するし、その人が迷惑と思うことはしないようにしているんです。

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こういうこともありました。

ある年のクリスマスの日。

ソーセージロールという、ソーセージ肉をパイ生地で巻いてオーブンで焼いたフィンガーフードを義母が作ってくれた時があって(毎年は作っていなかったけど、その年は作ってくれた)、出来上がったものがリビングルームのテーブルに置かれてありました。みんなでソファーに座ってテレビを見て過ごしていたんですが、家族の誰もそのソーセージロールを食べないのです。

「あれ?!お義母さんがせっかくみんなのために作ってくれたのに。。誰も食べてないところを見たらきっと残念がる。また『せっかく作ったのに誰も食べてくれない。料理するのになんの意味があるの?』ときっとガッカリしてしまう。」

と思って、「わー!これめっちゃ美味しい!」と言いながら、1つ、2つと食べていました。特にお腹は空いていなかったんですが。

でも周りのみんなは、相変わらず誰も手をつけないのです。

「あれ?!」と思って、3つ、4つ、、、と食べていたら、しばらくして義母がリビングルームに入ってきて、

「え?!?!もうこんなに少なくなってる!!何で?」

と大きな声で言っていて、家族の誰かが

「ああ。Melinaがたくさん食べてたよ。」

って。。

かなり険悪なムード。。。

あれ?!?私は義母を喜ばせようと思って食べたのに。。

食べられたくなかったら、何でテーブルに置いたの?と意味がわかりませんでした。

私だったら、自分が作ったものに誰も手をつけなかったら、「あれ??みんなの口に合わないのかな」と思ってがっかりすると思います。逆にたくさんなくなっていたら、「よかったー。みんな美味しく食べてくれたんだー」とうれしくなります。


実家では暗黙の了解的なルールがあって、部外者の私にはわからないこともあったので、知らない間に「え?」と思われていることもあったと思うので、余計に気を使いました。だんだんと慣れていったこともありましたが。

実家では勝手に何かをして間違ったことをしたら怖いし、毎回何かをするたびに、義母に確認したり夫に聞いたりしていたんですが、体調を崩していたときや、精神的にも体力的にも疲れていたときなど、実家には行きたくなくてそれでも引っ張りだされたときなどは特に、実家でのことは夫に任せていました。

それで思い出したんですが、体調が悪いときでも、実家の集まりには強制参加だったのは理解できませんでした。本当にキツイから、家で休んでいたいと言っても、夫は一緒に連れたがっていて、というのも、義母は日頃から体調が悪い人だったので、そんな中でも毎日のことをこなしているので、私も大変な中いろいろやっているのに、、と他の人が体調が悪くなって、集まりに参加しないのとか、よく思わなかったようです。

ある年のクリスマスの日。

熱っぽくて、悪寒がして、肌も敏感になっていたくらい体調を崩したことがあって、悪いけど私は今日参加できない。私は1人でも大丈夫だから、みんなで行ってきたらいいよ。と言ったんですが、私を1人で家に置いて行けない。ソファーで横になって休んでてもいいから。。と連れ出されたのです。

キッチンでせかせかと料理の準備をしている義母に悪いなーと思いながら、

「お義母さん、今日はお手伝いできなくてごめんなさい。本当に体調が悪くて、、夫にソファーで休んでてもいいからと言われて来たんだけど、本当にキツくて。。」

と言って、ソファーに横になっていました。

あの日も夜中1時過ぎまで実家にいて、夫が帰る準備をはじめました。家から持ってきたものを冷蔵庫から取り出したり、長女のおもちゃ類や諸々をバッグに入れたりと。。

私はソファーで休みながら、眠りから覚めはじめて、でも目はつぶっていました。

すると義母の声でこう聞こえたんです。

「あら。またあなただけが帰る準備しているの?可哀そうな息子。いつもあなたばっかり動き回って。何でいつもあなただけが全部してあげないといけないの?」

と。

一気に目が覚めました。正直カチっときて、キツイながらもすっと立ち上がって、帰る準備をしている夫に他に何が必要か聞いて、帰る準備を整えました。

義母はあたふたしていました。

私がまさか聞いていると思わないで、あんなことを言ったんです。

あたふたしている姿をスルーして、玄関に行き、靴を履いていたところで

「ごめんなさいね。あなたを傷つけるつもりで言ったのではないのよ。本当にごめんなさいね。」

と義母に言われても、耳に入ってきませんでした。

こんなに体調が悪い人にも、あんな風に言う神経が理解できなかったんです。

自分でいっぱいいっぱいの人だったので、いつも自分が悲劇のヒロインなので、他の人の大変さは理解できないようでした。

このことを自分の中で処理するまでに少し時間がかかりましたが、時間もたって和解して、また普通に家族つき合いを続けていました。

***

私がイギリスに移り住んで5年ほど経ったころ。

義母の父(夫のおじいちゃんに当たる人)が亡くなり、義母の母はすでに亡くなっていたので、その家を売りに出すことになりました。

でもすぐには売りに出さず、数年後売りに出したんですが、その間、空き家になるということで、ハウス・シッティングを兼ねて私と夫と長女が住まわせてもらうことになりました。

無料で住まわせてもらったので、その間に家購入のための頭金を貯めることができたので、感謝しています。

義母の実家に住んで2年ほど経った頃、家探しをはじめて、ある家を購入することが決まりました。そのタイミングで、義母と義母の妹が手配して私たちが住まわせてもらった家を売りに出したら、すぐに売れたんです。その家売却の手続きはスムーズにいっていたんですが、私たちが買う予定だった家に問題が見つかり、最後の最後で購入までには至らなかったんです。

ということで家探しをはじめたんですが、住まわせてもらった家を手放す日もすでに決まってしまっていたので、その間に住む借りの家が必要になりました。アパートでも借りて住むのかと思ったんですが、夫の実家に住むことになりました。

短くいえば、その居候生活は私にとって地獄でした。

もともと長期の海外出張が多かった夫ですが、居候生活中、運悪く長期出張が重なってしまって、夫が不在なことが多く、それもあって余計キツかったんだと思います。

「もうコンポストの容器がいっぱいになってる!」

「食洗器を回す回数が増えてる」

「もう夕飯の支度してるの?」

小言を言われるのがものすごくストレスで、夫が出張でいないときは、ほとんど外で過ごしました。長女を学校まで送ったあとお迎えの時間までそのまま外で過ごして、迎えに行って、町のショッピングセンターで過ごしました。夫が不在のときに実家で料理をするのが嫌だったので、夕飯も外食するようになりました。町の中華料理食べ放題のレストランに行くこともあれば、スーパーで買ったサラダや料理されたチキンドラムスティック、フランスパンなどを買って、ショッピングセンターのベンチに座って食べたり。。私が長女を産む前にフルタイムで働いていたときの貯金を使いました。

義母色の濃い家の中での生活は相当大変なものでした。義母のキーキーした声、絶望感溢れる声、悲観的な発言、義父を叱りつける声、負のエネルギー溢れる空間にいて、私の精神はどんどんおかしくなっていきました。

お風呂に入ったあとは、毎回バスタブ周り、中も全部雑巾で拭かないといけなかったり、そういう細かいルールが多い空間で窒息しそうになりました。

義父母の家に住まわせてもらっているので、もちろん家のやり方を尊重して、迷惑がかからないように気をつけていましたが、夫の出張が重なって不在なことが多かったので、状況は最悪でした。

そんな辛い時期に、私の身近な女神様のような存在のアンジュちゃんと話していて、もらった言葉などを以前noteでシェアしたことがあるんですが、

心持ちを何とか変えて、頑張ろうと思えました。

状況が好転したかなと思いきや、実はこの数日後に義母と大衝突する出来事が起きたのです。

(続く)

*かなり長い文になってしまっているので、いったん打ち切ります。



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