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今に感謝。左片側顔面麻痺(ベル麻痺)を経験して 最終話

ごあいさつ

Gender&Diversity Lab Melatiの新津茉莉花です。だいぶ時間があいてしまいましたが、おかげさまで元気にしております。

ベル麻痺になった経験について記事を書いていて今日は最終話です。私が記事をとおして伝えたいのは、「今ある日常やあたりまえのことこそが、尊いことでそれにこそ感謝だね」ということです。


これまでの流れ

2018年の夏、国連の仕事でコートジボワールに単身赴任をしていた。けっこう過酷な国内出張の後、サルモネラ菌に感染して現地病院へ入院→退院翌日の早朝、急に目が覚め、「行かないと!」との直感。夫の住むインドネシアに向けて出発も、飛行機の遅延が重なり、疲れがマックス。フライト中に、口の左に食べ物がたまる&左目から涙がたくさんでてくるなあと感じる。1日半くらいかけてやっとのことで、コートジボワール→エチオピア→シンガポール→インドネシアに到着。夫との再会を喜ぶものの、翌朝目が覚めると、顔の左が動かくなっていた。インドネシアですぐに病院へ行き、その日の深夜便で日本へ一時帰国することに。一時帰国後、すぐに市立の総合病院へ10日間の入院。ベル麻痺とのこと。点滴でのステロイド治療で興奮しまくり、睡眠導入剤を飲んでも夜間睡眠2時間。毎朝の5時から点滴ガラガラ院内散歩。産婦人科前の本棚に置かれている「コウノドリ」を読破し、子供が欲しいのだ!という啓示を受ける。毎夕母がおかずを届けてくれて一緒にごはんするのが楽しみ。友達が面白いラジオ番組を教えてくれて感謝。定期検査では言われた顔の動きがほとんど何もできなくて絶望の日々。

退院

10日後退院となり、実家に戻った。顔の左側は何も変わりがなく、目が乾き、うまくしゃべれない。特にしゃべれないのが「は行」だった。
これで治療終わり?私の顔何も変わってないんだけど。というのが正直な気持ち。ずっとこのままだったらどうしようという思いで不安ばかり。
ネットで見ると、治らなかった方のブログがたくさんあり、不安が大きくなる。

アドレナリン前回、早朝の3時間散歩

翌朝、まだステロイドが体に残っているのか相変わらず早朝からアドレナリンが出まくり、一人で早朝散歩(今度は院内ではなくて外)に出かけた。5時過ぎから7時半すぎまで3時間弱くらい!!!町を歩き回り、散歩。やっぱりアドレナリン全開で興奮しすぎている。

食欲が爆発。普段の3倍食べる

不思議な体験で、ステロイド治療の影響か、なぜか何を食べてもすごい美味しく感じてしまう。父が、ステーキ屋さんに連れて行ってくれたのだけど、そこがステーキ以外は食べ放題でカレー、アイスクリーム、サラダ、おうどん、綿菓子などなどあり。バクバクバクバク、全部3周くらいしたかな。極めつけ、綿菓子なんて普段食べることないのに甘いものが美味しくて美味しくて。普段定食屋さんとかで白米が普通サイズだと食べきれないから、「かるめ」にしてもらう感じでやっているのに、自分でも拍子抜け。父もびっくり。

リハビリ通院

週に2、3回ほど、通院。リハビリに通った。リハビリでやる顔の運動、一連の動きが長くて難しい。リハビリ風景をスマホで動画にとってもらって家でみながら毎朝、毎晩リハビリ体操した。

ムーンフェイスあられちゃん登場

そうこうしているうちに、顔がまんまるになってきた。これはステロイド治療後、少しすると副作用で顔がパンパンになる症状で、「ムーン(月)フェイス」と呼ばれるとのこと。普段と違うまんまる顔に驚くが、左の顔が麻痺していることの方のインパクトが強いため、案外そこまでまんまる顔の方にはショックを受けなかった。普段コンタクトだけど、左目を閉じることができないので、眼鏡。まんまる顔に普段はしない眼鏡で生活。本当誰??という感じ。家族には「あられちゃん」「まんまるちゃん」と呼ばれる。
久々に口紅を塗ってみた。赤いやつ。まんまるあられなりに、少しテンションがあがった。 

インドネシアへ夫に会いに

一向に治らない顔の麻痺。気分が落ち込む。不安の中、夫に会いたいという気持ちが高まる。そこで、リハビリの先生に相談。結果、「精神的にもリラックスした方が早くよくなると思うから、ぜひ旦那さんに会って来て下さい!」という回答をいただいた。さっそくインドネシアへ。3週間ほど夫とインドネシアで過ごした。まんまる眼鏡あられなりにメイクをして、おしゃれなお店に夫と行って久々にデートなどして、ちょっと気分が元気になってきた。

3か月のリハビリ

退院から1か月くらい経った頃かな?急激になんか顔が動くようになってきた。その後3か月間、日本で通院とリハビリを続け、ようやく麻痺が治った。

ベル麻痺になって気が付いたこと

ベル麻痺になって気が付いたこと。
あたりまえのように毎日過ごしていることが本当は幸せなことだっていうこと。途上国の女性を助けるという使命も大切だけど、それを続けていくためには、何よりも自分が家族と一緒にいるということが大切だということ。
子供が欲しいという気持ち。使命だけではなくて、自分の欲望や欲求を聞いてあげるということ。

今回ベル麻痺が完治してから約5年が経過し、初めてこの経験を書きました。今は、家族で一緒に住みながら、社会起業家として途上国と日本の女性の支援をすることができています。もう二度と、自分の心の声を無視しないと誓って、これからも無理せず楽しく生きていきたいです。

皆さんもどうかご自身の心の声を聞いてあげてください!
最後まで読んでくださりありがとうございました。
 (完)


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