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アフリカで死を意識して生涯独身スタイルを変えるに至った話。

実は中学2年生から、世界の女性や女の子を救いたい!って思っていた。そして、そのためには国連で働くのがいいだろうと思っていた。世界のどこにでもニーズがあるなら飛んでいく!例えどんなに危ない所であろうと、困っている女性・女児がいるなら私が助けるのが使命!と思っていた。そのために、私は生涯独身で子供もいらない、と決めていた。

その考えが変わったのは、ニジェール共和国に青年海外協力隊として派遣され、日々生活する中でだった。ニジェールと日本で大きく違うな、と感じたのは死がとても近くにあるということだった。それでどうつながるのかわからないけど、死を意識→家族が欲しい、子孫を残したい残さないと!という気持ちが内側から湧き上がってきたのですよね。

ニジェールでは、例えば、マラリアになって亡くなる子供がふつうにいたり、出産の時に亡くなる女性がふつうにいたり。そして、生活している中でも、死の危険を常に感じていた。家に置いた気温計が暑さのあまりキャパを超えて壊れ、停電用に用意してある蝋燭は暑さのあまりぐにゃぐにゃに変形し原型を留めず、洗ってびしゃびしゃの状態のジーンズが10分で乾く、そんな環境の中、熱帯夜にも関わらず停電が続いたり、何週間も水道水が止まったり。刺されるとマラリア(ちゃんと処置しないと死に至る)になってしまう蚊がそこらじゅうにいたり、時にはサソリがでたり(黒サソリはやばい、白は大丈夫と習った)、首都と地方を結ぶのはバスのみ(電車がなかった。)で、そのバスがけっこう頻繁に死亡事故を起こす。死亡事故直後のバスを2回見たこともあった。毎週長距離無線での安否確認があり、その際は地名は暗号で報告していたのだけど、それは無線がナニモノかに聞かれていた場合、地名を言うと、誘拐など何等かのリスクがあるから、とか。こんな生活だと否が応でも死を意識する。そんできっと生命を残さないとって感じたのかなと。(ヒトコト:青年海外協力隊に行く時点で、そういったことは自分でもある程度わかっていて自己責任ということで自分で決めて行っていたつもりです。こういったことも含めてたくさんの経験を与えてくれた青年海外協力隊という制度には心から感謝しています。)

それでアフリカから帰国後、28歳の時から猛烈な婚活@東京を始めるわけですが、アフリカ帰りの私は、日本の婚活市場ではチョー浮いており、全くうまくいかなかったわけです(この辺りの話は、また追って書きます)。

今は結婚して子供が生まれて前とは違って、自分の大切な人の笑顔を守る、ということを第一に考えるようになっています。それと世界の女性と女児を助けるということは両立しないわけではないと思ってて、自分のできる範囲で貢献をしていくぞ!とここに決意を新たにしました!


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