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時は流れる

最近は自分について考えることが増えた。特にこれからのこと、存在するかもわからない未来のこと。

私は何をして、誰と会って、何を食べて生きていくのか。本当はそんなこと考えたくなんかなくていつも見ないふりをしてきた。

いやだ、こんなこと考えたくないって地団駄踏んでも時間は無情に残酷に、そして平等に流れていくわけで、いつかは現実と折り合いをつけなければいけない、そういう時が来るのは少し前から薄々わかってはいた。

自己愛が強くて、危険が迫ればそれを避けて生きてきたから、格好だけ気にして、何も考えず色々なものを受け流してきてしまったと思う。
もっと正しく苦しんで正しく悲しんでいればよかった。贅沢な話だけれど。

「将来の夢は何?」って聞かれるのが小さい頃から心底嫌いだった。そんなもんわかるか!って思ってた。正直今も思ってる。

でもいつのまにかそんなこと言ってられない年齢になってきた。もう22歳なのだから。

でも、やっぱり「君は何がしたいの?」と聞かれても、私は自分が何をしたいのかがわからない。逆にみんなはわかっているのだろうか。自分の中にそれがはっきりとあるのだろうか。

私が今まで適当に生きてきたからわからないだけなのだろうか。

一体なぜこうなったのかだけを考えて、直してを繰り返してきたからわからない。
わからないことだらけ。
今まで好きなことを、というよりも行き当たりばったりの人生だった。


この街に生きている以上、変わらないわけにはいかないのだ。
街の風景も人も恐ろしく流動的だから。全く悩む隙すら与えてくれない。置いていかれてはいけない。

ここまで書いて、こんなこと考えるだけ無駄だと気づいた

行き当たりばったりな人生でもいいじゃないか

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