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22歳、ISFP躁鬱女の幸せな自己紹介!?

私は22歳、普通の会社員として働いている
」と申します。

自分のことをよく考える私の頭の中を世界の人に知ってもらいたい、誰かの何かになれたらいいなと思いノートを始めました。
日本人ながらも日本語を上手く話すことができないです。漢字や難しい言葉、ことわざも苦手です。

そんな私の自己紹介をしていきたいと思います。

家族について
・父 46歳 好きな物に没頭しやすい、会社員
・母 39歳 家庭菜園が趣味、会社員
・私 22歳
・妹 11歳 YouTubeが大好きな小学6年生
・(今年の10月に産まれてくる妹か弟)

親は私が5歳の時に離婚しました。幼き私はお父さんに引き取られ、祖父母に育ててもらいました。
そして私が10歳(小学生4年)の時に父が再婚し、今の母は新しい母です。
私が12歳の時、妹が産まれました。
簡潔に書きますが、私は親と仲良くありません。中学上がってからは、服や生活用品、学校に必要なものを買ってもらったことがありません。全て祖父母がお金をだして、ご飯を作ってくれて、私を育ててくれました。


私は高校卒業と同時に地元(高知)、親元から離れ
香川県に暮らしています。



現在について
・彼氏  24歳 ゲーム好きのインドアな会社員
・私     22歳 お花と甘いものが好きな会社員
・ペット(うさぎ) 生後7ヶ月

彼氏とは職場で出会い、現在は同棲しています。
毎日の幸せを噛み締めながら、過ぎていく日々に思ったことをこのノートに書いています。

これは友人が書いてくれた私と彼氏です



私について
高校卒業後、地元「高知」を離れ、群馬県にある短期大学に入学しました。
入学した時はコロナが流行り始めた頃だったので大学もオンラインで友達も出来ず、ずっと家にいる日々でした。

そんな日々を続けていると気が病んでしまい
「 死にたい、生きたくない、家から出たくない、寂しい、助けてほしい」と毎日考えるようになり、
そんな何も出来なくなってしまった私を家族に回収され地元に引き戻されました。


この時私は家族に連れられ心療内科へ…
そこで診断された病名が「双極性障害(躁鬱)」
まさか私が鬱になるだなんて思っていませんでした。


診断されてからは自分を受け入れることが出来ず毎日泣いて、家の物を壊したり倒しまくったり、死にたいとずっと泣き叫んで1番大好きな祖母を泣かせてしまったりしていました。

そして1年在籍した短大も辞めてしまいました。
すぐ仕事も決まる訳でもなく、ただ家にいて好きな時間に寝て好きな時間に起きて、お腹が空いたら食べて寝ての繰り返しでした。

次は何をしよう…この先が不安だけど親に迷惑かける訳にはいかない、と思いながら必死で仕事を探しました。
地元は田舎の方なので何も仕事がなく、親元を離れて自立したい気持ちが強かったので、また地元を離れ香川県のとある葬儀社に務めることになりました。そこで出会ったのが今の彼です。

今も躁鬱の波は続いており、しんどい時の方が多いですが、彼氏とペットのうさぎと毎日ほのぼのと暮らしています。

うさぎ:みんなぼちぼちいこ〜




普通ってなんだろう…幸せってなんだろう?

学生の頃は毎日が退屈でした。退屈=不幸せだと思っていた浅はかな私は
「はぁ〜幸せになりたいな。あれも買ってこれもして、彼氏も作って幸せになりたいな〜」と思っていました。

だけど躁鬱になってから気づいたのです。

毎日帰る場所があり、待っててくれる家族や恋人がいること、食べるものがあること、周りが元気でいてくれること、明日がくること。
こんなの当たり前じゃないか!って思う人もいるかもしれないけど、今まで当たり前に思っていた普通の生活が本当はとても幸せで、恵まれているんだと




長々とそれっぽい事を書きましたが…
自分の思ったことや感じたこと、日々の日記を続けていきたいので、自由気ままにノートを書いていきます。


長くなりましたが、最後まで読んでくれてありがとうございました!


ほんとぼちぼち、そこそこでいいんです
無理せず今日も明日も🇯🇵🌈

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