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【入浴日記】思考廻廊

 4時半に起き、筋トレを済ませ、結局昨晩睡魔と無気力で後回しにしていた風呂に入る事にした。
2022/12/06 06:06:03現在、東向きの窓からはほんの微かに光が差し込むだけで、真っ暗とまでは行かないがかなり暗い浴室でこれを書いている。日の出もかなり遅くなったものだ。

 7時間睡眠を取り、そこからどう考えて動くかを前提に夜のサイクルを作っているが、どうにも身体は完全に朝型になってしまった。思考は夜行性なのに、行動は朝行性。うーむ。

 この時期の風呂はすぐに冷える。浸かりながらたらたらと文章を綴っているうちに、40度で張ったお湯は38度くらいになっているだろう。体感だけど。

 「モノを考えて行動することで、そこに気分が追いついてくる」という主治医のアドバイスは、的を射ている部分もあると感じた。ルーティーンだった筋トレは、先週殆どやっていない。気分が落ち込んで、気分主体で「無理だな」って判断していたから。
 今週、まだ火曜日だけど朝夕の筋トレは出来ている。達成することで、(俺はまだ出来る)という風に気分が変化し、1日を何とか過ごしてみよう、となる。

 但し、長続きはしない。充電切れのバッテリーに数分間充電を足したとしても、燃費の悪い私には微々たるもので、出勤して2時間を過ぎる頃には呼吸が荒くなり、腹痛や頭痛を引き起こし、階段を上るだけで息が上がる。結局昼前に早退し、残り日数が心許ない休暇を消費して眠って夕方か夜、というパターンで仕事になりゃあしない。立場上、そんなに俺仕事無いけど。

 自分の行動理念が果たして「思考」から始まって「気分」を引っ張っているのか、「気分」に囚われた「思考」から始まっているのか自分でも分かっていない。考えを止めないようにしているだけであるが、根底が「気分」で意味はあるのだろうか?

 そして現在(2022/12/06 06:18:14)、早起きが祟って眠くなってきた。このまま気を失うように眠り、そのまま起きなくてもいいか、とさえ思える。
 この感覚は、同じ病を患った人にしか分かり得ないだろうな。丁重に扱われ過ぎても申し訳なくなるし、かと言って凄く丁寧に扱って欲しいわけでもない。いつも通りでいいんですよ。普通通りでいいんです。本格的に眠くなってきたのでこの辺りで。

 と言って起きたのが2022/12/06 06:53:27でした。半分沈没しかけていました。とりあえず、仕事行ってきます。

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