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散歩までのひとときに

 朝六時に目が覚めたが、少し頭がぼーっとしていたので、可愛くて大きなぬいぐるみを抱き締め、六時半のアラームで動き始めた。
 表題の写真は、七時頃に撮ったものだ。ここからはおそらく伝わらないが、川面に雨の落ちる跡が数秒ごとに見えた。そこで、散歩の時間をずらし、語りたいことを書いてみよう、と思った。

 語りたいことはたくさんあるのだが、その中で、休養をとることになってから知り合い、お世話になっている「Mさん」と「Kさん」の話でもしようかと思う。

 療養休暇を取得し(現在は休職中だが)、父からある条件下でお小遣いを貰う条件を得た。それは、親父または親父の知人の、現場仕事を手伝うことだ。
 例えば、新しく人が住むことになった無人の家の片付けや、ビルの中の瓦礫の撤去等。簡単に言えば「片付け」だ。
 父はそれが本業ではないので、本業が忙しい時に俺が出向いて手伝い、その見返りとして親父から小遣いを貰う、という形だ。最初は二十後半の男が小遣いなんて、と思った。しかし正直、職務柄副業がほぼ禁止されている俺にとって、この話は非常にありがたいものでもあった。生きていくには金が要る。綺麗事抜かしている場合ではない。事実だ。そこで知り合ったのが、前述の二名だ。

 「Mさん」は、親父より少し年上。第一印象は、優しいけど不愛想な人だな、だった。けれども、仕事の指示は分かりやすく、効率良く現場を終わらせることに長けた人なのかな、と思ったのが第二印象かな。
 どこかで聞いていた名前だと思っていたら、かつて親父から譲り受けたスバル・レガシィの元々の持ち主だった人だった。半年で乗り潰してしまったことがなんとなく申し訳なかった…。その話をしたら、「まぁあれも相当ボロだったし、年季入ってたからねぇ」なんて笑い飛ばしてくれたが、少しだけ切なそうだった。
 Mさんと現場を共にしたのは三回。同じ現場で二回、別の現場で一回。別の現場の時は、後述するKさんも一緒だった。Mさんはこの日、期限と進捗が合わず、ピリピリしているような感じがしていた。その理由のひとつは、これから読んでいくうちに分かるだろう。
 色々聞いていくと、男手一つで子どもを二人育てているらしい。もうそこそこな歳の学生二人らしいが、子どもにはとても厳格だそうだ。時々現場を手伝ってもらい、俺と同じように小遣いを渡しているとか。格好いいな、と素直に思った。

 「Kさん」は、親父より少し年下で、本業場で知り合ってからお世話になっているらしい。
 この人はMさんとはある意味反対で、とてもおしゃべりで、愉快な人だ。ちなみに、親父、親父の弟さん妹さん、親父の母(つまりばぁちゃん)もかなりお世話になっているらしい。吉田家三世代に渡る恩人である。笑
 この人とは、計四回仕事を共にした。初めて会う時は親父も一緒で、親子揃って現場仕事をするのも不思議な気持ちだったが、小三から大四まで別居しており、記憶も朧な小二までと、社会人一年目の、茨城に引っ越す八月までの四ヶ月半しか同居したことがなかった。一緒に重たい古箪笥を運んでいる時など、不思議な感覚ではあったが、親子の絆を感じた。
 その後も、Mさんとの現場で会い、さらにもう一つの現場を二日がかりで共にさせて貰えた。Mさんは仕事中にYouTubeで音楽を流す人で、年代が違うため好みの曲はあまり流れてこないが、たまに知っている曲が流れてくると口ずさんだものだ。
 余談ではあるが、二日目に現場に向かう際、高速道路でスピード違反を起こしてしまい罰金を払うことになってしまった。その話をしたら、「頭文字D」のプレイリストから曲を流し、「こんな曲聴いてたらスピード出しちゃうでしょ~笑」「無賃労働ご苦労様でした笑」なんて茶化して笑い飛ばしてくれた。

 時間を持て余す俺にとって、この両名は「救い」だった。オードリー若林の言葉に、「ネガティブを潰すのはポジティブではない。没頭だ。」というものがある。今まさに、これを書きながら痛感している。そういった意味では、「没頭」を与えてくれるのは救い以外の何物でもない。筋肉痛で大変なことになるけど。

 ちなみに、Kさんとは意外なところで会ったことがある。俺の家寄りのとある寂れたスパの食堂で、だ。お互いたまたま来て、たまたまそこで食事をとっていた。客も店員も少なく、「すみませーん」と片言で呼ぶ外国人の声がした。そこで、「まだ来ないの~?俺呼んでくるよ」という声が聞こえた時、(聞き覚えのある声がするな)と思っていたら、声の主がすぐ現れた。
 六秒ほど目が合い、俺が「Kさんですよね?現場お手伝いさせて頂いた息子です」というと、「あーやっぱり!こっち見てたし、住んでるところそんな遠くないからもしかしたらいるかな~なんて思ってたら、本当にいた!」と大笑いしていた。身内の方も紹介してくれ、自分が手伝っている時の写真を見せ、「あ~このあんちゃんね~!」と、和やかな雰囲気になった。ものすごい縁だと思った。

 なぜ今これを題材に書いているかというと、今晩親父方の祖母の家に数年ぶりに泊まりに行き、Kさんの手伝いをするかもしれないからだ。かもしれない、というのは、元々入っていた現場がキャンセルになり、次の現場に人手が必要か不要か分からないため、連絡待ちという理由である。
 もし現場がなくなったらなくなったで、祖母のところでゆっくり孤独を癒してもらい、父の職場に顔を出し、友人のSを迎えに行って我が家で遊ぶだけだし、現場で手伝わせてくれるのなら、親父から小遣いを頂戴し、友人とゆっくり銭湯にでも浸かるつもりでいる。

 俺は、「縁」という言葉をとても大切にしていきたい。かつて大好きだったバンドが対バンツアーを行った時も、「えん」というタイトルをつけていた影響もあるかもしれない。こんな俺と繋がりを持ってくれ、優しく接してくれる全ての皆様へ、心よりの感謝を。
 時刻は八時十一分。まだ雨は降っているが、ゴミ捨てくらいは行かないと。

P.S. Nowplaying「Unity」。私の大好きなDJの曲である。貼り付けるので、是非とも聴いていただきたいと思う。


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